2006年04月30日

千鳥ヶ淵戦没者墓苑納骨一覧表

千鳥ヶ淵戦没者墓苑について
○墓苑の概要
 大東亜戦争では、広範な海外地域で苛烈な激戦が展開され、海外における日本の軍人・軍属の戦没者及び戦火に巻き込まれて亡くなられた邦人は、合計で約二四〇万人の多さに達し、しかもこれらの多くは終戦に際し、海外に残されたままとなりました。
 戦後遺族をはじめ国民各層から、戦没者の遺骨奉還と、これに伴う「奉安墓」の建設の声が澎湃(ほうはい)として起こり、政府はこれを受けて、関係者の意見をまとめ、戦没者の「墓苑」をここ千鳥ケ淵に建設することになり、昭和三十四年三月二十八日施工に至りました。
 政府は毎年各地域に遺骨収集団を派遣しておりますが、奉還されたご遺骨のうち御遺族にお渡し出来ないものを当戦没者墓苑に奉安しております。墓苑の面積は約五千坪あり、苑内には大小の樹木約四千本が植樹され、四季を通じ鬱蒼(うっそう)と繁茂しています。
 この墓苑は厚生労働省がご遺骨の管理を、環境省が施設の管理を担当して、戦役者墓苑にふさわしい荘厳さを維持できるよう努力されています。
 なお墓苑の建設経緯など細部について興味のある方はホーム。ぺージをご覧下さい。
http://homepage2.nifty.com/boen/
千鳥ヶ淵戦没者墓苑発行の資料から抜粋

千鳥ヶ淵戦没者墓苑、靖国神社と国立追悼施設
http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/26450184.html

靖国神社と国の鎮め(18項目)
http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/cat_1228494.html

千鳥ヶ淵戦没者墓苑納骨一覧表.xls


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2006年04月29日

BC級戦犯にされた4830人

戦時中 日本軍は「非戦闘員(一般市民等)に対する無差別爆撃」を行なった米軍飛行士たちや反日活動を行なった占領地住民(非正規軍のゲリラ)を国際法違反の罪で多くの連合軍将兵を処刑した

それが戦後「人道の名に於いて」裁かれ、戦争法規違反のBC級戦犯として総計4,830人が各国のそれぞれの基準で復讐裁判として処理された
そのほとんどがろくな調査も弁護も許されず多くのヒトが処刑された
その実態はあまり明らかにされていない
しかしその一部が「戦犯叢書 戦犯虐待の記録等全7巻」国書刊行会で出版されている
添付資料に書かれている数値からどの国が日本人を殺すのに熱心であったかを知ってもらいたい

なお旧ソ連はシベリアの強制収容所に連行し、約6万人が凍死・餓死させられ、毛沢東の共産軍は満州地区において3000〜5000人の殺害を行なったとされているが公的な記録はない
BC級戦犯裁判記録その1.bmp
BC級戦犯裁判記録その2_512.jpg
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2006年04月26日

シベリア捕虜収容所分布図

シベリア捕虜収容所分布図450.bmp
 元日本兵の上野(うわの)石之助さん(83)=ウクライナ在住、岩手県洋野町出身=が4月20日、盛岡市で親族と63年ぶりに対面した。涙で弟や妹と固く抱き合い、「会えてうれしい」と万感の思いを伝えた。上野さんは太平洋戦争中の1943年に樺太(サハリン)に出征。戦後も現地にとどまったが、58年から消息不明になり、00年に戦時死亡宣告が出されていた。

 旧軍出身者も高齢になり約60万人もの日本人が国際法に違反してシベリアへ連行されその1割のヒトが寒さと飢えで奴隷のような扱いを受けて死んでいったことが風化されようとしている

 シベリア鉄道に沿って収容所が建設され、極東地方はもちろんのことモスクワ、ウクライナ、グルジア、北極圏にいたる全土にばら撒かれ、ただ働きの奴隷として使い捨てにされた
最期の帰還船は昭和31年12月であった
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2006年04月24日

世界を驚嘆させた佐久間艇長の遺言

明治43年4月15日 山口県新湊沖で潜航訓練を実施していた第6号潜航艇が沈没
海軍大尉佐久間勉艇長以下14名の軍人が殉職したが、艇長の最期の処置と部下たちの態度は見事なものだったと世界の人たちから驚嘆の声が上がった。

 佐久間艇長遺言 
小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス、誠二申訳無シ、サレド艇員一同、死二至ルマデ皆ヨクソノ職ヲ守リ沈着二事ヲ処セリ、 我レ等ハ国家ノ為メ職ニ斃(たお)レシト雖(いえど)モ唯々遺憾トスル所ハ天下ノ士ハ之ヲ誤リ以テ将来潜水艇ノ発展二打撃ヲ与フルニ至ラザルヤヲ憂フルニアリ、希クハ諸君益々勉励以テ此ノ誤解ナク将来潜水艇ノ発展研究二全力ヲ尽クサレン事ヲサスレバ我レ等一モ遺憾トスル所ナシ、

 沈没ノ原因
瓦素林(がそりん)潜航ノ際過度深入セシ為メ「スルイス」バルブヲ締メントセシモ途中「チエン」キレ依テ手ニテ之レヲシメタルモ後レ後部二満水(セリ)約廿五度ノ傾斜ニテ沈降セリ、

沈据後ノ状況、
一、傾斜約仰角十三度位、
二、配電盤ツカリタル為メ電燈消エ、電攬(でんらん)燃エ悪瓦斯(がす)ヲ発生
 呼吸二困難ヲ感ゼリ、

 十四日午前十時頃沈没ス
 此ノ悪瓦斯(がす)ノ下二手動ポンプニテ排水二力(つと)ム、
一、沈下ト共ニ「メンタンク」ヲ排水セリ、燈消エ ゲージ見エザレドモ「メンタンク」ハ排水シ終レルモノト認ム、電流ハ全ク使用スル能ハズ、電液ハ溢(あふ)ルモ少々、 海水ハ入ラズ 「クロリン」ガス発生セズ、残気ハ五〇〇磅(ポンド)位ナリ、 唯々頼ム所ハ手動ポンプアルノミ、「ツリム」ハ安全ノ為メ ヨビ浮量六〇〇(モーターノトキハ二00位)トセリ、(右十一時四十五分司令塔ノ明リニテ記ス)溢入(いつにゅう)ノ水二浸(ひた)サレ乗員大部衣湿(うるお)フ寒冷ヲ感ズ余ハ常二潜水艇員ハ沈着細心ノ注意ヲ要スルト 共ニ大胆ニ行動セザレバソノ発展ヲ望ム可カラズ、細心ノ余リ 畏縮セザラン事ヲ戒メタリ、世ノ人ハ此ノ失敗ヲ以テ或ハ嘲笑スルモノアラン、サレド我レハ前言ノ誤リナキヲ確信ス、

一、司令塔ノ深度計ハ五十二ヲ示シ、排水ニ勉メドモ十二時迄ハ 底止シテ 動カズ、此ノ辺深度ハ十尋(ひろ)位ナレバ正シキモノナラン。
一、潜水艇士卒ハ抜群中ノ抜群者ヨリ採用スルヲ要ス、カゝルトキニ困ル故、 幸ニ本艇員ハ皆ヨク其職ヲ尽クセリ、満足ニ思フ、 我レハ常ニ家ヲ出ズレバ死ヲ期ス、サレバ遺言状ハ既ニ「カラサキ」引出ノ中ニアリ
 (之レ但私事ニ関スル事 言フ必要ナシ、田口浅見兄ヨ 之レヲ愚父ニ致サレヨ)

 公(こう) 遺 言
謹(つつし)ンデ
陛下ニ白ス、 我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無力ラシメ給ハラン事ヲ、我ガ念頭ニ懸ルモノ之レアルノミ、左ノ諸君ニ宜敷、
 (順序不順)
一、斎藤大臣、
一、島村中将、
一、藤井中将
一、名和少将
一、山下少将
一、成田少将
一、(気圧高マリ鼓マクヲ破ラルゝ如キ感アリ)
一、小栗大佐、
一、井出大佐、
一、松村中佐(純一)
一、松村大佐(竜)
一、松村小佐(菊)
    (小生ノ兄ナリ)

一、船越大佐、
一、成田鋼大郎先生
一、生田小金次先生、
十二時三十分 呼吸非常ニクルシイ

  瓦素林(がそりん)ヲブローアウトセシシ積リナレドモガソリンニヨウタ
一、中野大佐
 十二時四十分ナリ、


 遺書は鉛筆でーぺージに三行から五行書かれてあり、全文で三十九ぺージに及んでいる。
死に直面しながら、簡潔な文章をつづった佐久間艇長の平常心さながらの態度に驚きを禁じ得ない。

「郷土の偉人佐久間勉」 発行所 佐久間勉艇長遺徳顕彰会 
福井県三方郡三方町中央一ノ二 三方町教育委員会、
「日本を護った軍人の物語」祥伝社 岡田幹彦
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/navy-rokugo.htm
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2006年04月21日

「李承晩ライン」の設定と日本海をめぐる日韓関係

 ■日本海をめぐる日韓関係の経緯 
【明治】
38年1月 閣議決定で「竹島」と命名。島根県隠岐島司の所管とする
【昭和】
27年1月 韓国の李承晩人統領が「李承晩ライン」を宣言
28年2月 済州島沖で日本漁船が韓国側の銃撃を受け、漁労長が死亡
  6月 島根県が海上保安庁と共同で竹島を調査。
領土標識(木柱)を建てる
29年7月 韓国の警察隊が竹島に常駐
  9月 日本政府、竹島問題の国際司法裁判所への提訴を韓国に提案。
韓国は拒否
40年6月 日韓基本条約と日韓漁業協定に調印。李承晩ラインは廃止。
竹島問題は紛争処理事項とされるが、韓国は話し合いに応ぜず
52年2月 福田赳人首相が、竹島は「疑う余地のない日本固有の領土」
と表明
【平成】
9年11月 韓国が竹島に500トン級船舶が利用できる接岸施設を完成
10年12月 韓国が竹島に有人灯台を完成
11年1月 新「日韓漁業協定」が発効。
両国が主張する排他的経済水域が重なる海域周辺を暫定水域
と定め、共同管理下におく
14年8月 韓国は「日本海」の呼称を「東海」にすべきだと主張。
これを受け、国際水路機関(IHO)は「大洋と海の境界」
の改訂版で「日本海」の削除を検討。日本政府は抗議
  9月 IHOが「日本海」の呼称の継続を決定
17年3月 島根県議会が「竹島の日」を定める条例案を可決
18年4月 日本が竹島周辺の海洋調査を計画。韓国側は反発

●「李承晩ライン」を設定 不法支配 
日本海をめぐる日韓の対立は昭和二十七年一月、李承晩大統領が一方的に漁船の立ち入り禁止を宣言した「李承晩ライン」に始まる。

 このラインの韓国側には、明治三十八年に島根県所管と定めていた竹島も含まれており、海洋資源保護は建前で、竹島の領有こそが目的だったとされる。

 韓国側は、日本の抗議を無視し、日本漁船を大量に拿捕。韓国警備船が発砲し死者を出す事件もあった。昭和二十九年には竹島に警察隊を常駐させて武力占拠した。
 結局、李承晩ラインは、日韓基本条約と日韓漁業協定が調印されるまで十三年同続く。拿捕された船舶は三百二十八隻、抑留者は三千九百二十九人、死傷者は四十四人に上った。
 
ただ、調印後も韓国は竹島の領有権をめぐっては話し合いに応ぜず、竹島周辺海域での漁船の操業についてはお互いに自由にすることで対応。その間に竹島に灯台やヘリポートなどを建設し、実効支配を強めてきた。

 平成十一年には新日韓漁業協定が発効。排他的経済水域(EEZ)については、両者の主張が重なる部分を共同管理の暫定水域とした。これで日韓両国の日本海を舞台にした争いは沈静化したかにみえたが、今回の海洋調査をめぐる対立は、これまでの妥協案が、問題の「先延ばし」に過ぎなかったことを示している。             産経新聞から引用
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/
http://www2.pref.shimane.jp/kouhou/photo/161/
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2006年04月20日

渡部昇一に靖国問題で論破された王毅駐日中国大使

私がよく読むメルマガに伊勢雅臣の「国際派日本人の情報ファイル」がある
国際情勢、国内問題、政治問題等と幅広い教養と豊富な知識に溢れた伊勢雅臣氏はまさにオールラウンドプレイヤーである。今回題材に取り上げている渡部昇一氏は日本の歴史と伝統、国家のあり方について語らせたら、右に出るものがいないといっても過言ではないと思う。
その彼が強面の王毅駐日中国大使を厳しく問い詰め、理路整然と小泉首相の靖国神社参拝問題を展開した文章が紹介されていた。
転送歓迎の許可もありあえて取り上げた
****************************************************************
■JOG Wing■国際派日本人の情報ファイル■
渡部昇一に靖国問題で論破された中国大使
伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1121 ■ H18.04.17 ■ 8,301部 ■■■■■■■

 上智大学名誉教授の渡部昇一氏が知人数人と、王毅駐日中国大使を囲んで会食した時のことである。席上、こんな歴史論争が始まった。

 その中で、中国が日本批判の口実にする歴史認識に関連して、私は発言した。シナ事変を始めたのは日本ではなく、中国の側であるということである。

 慮溝橋で最初に発砲し、攻撃を仕掛けたのは中国側であるということ。それが上海に飛び火して戦火が拡大していくのだが、この上海の飛び火は中国側の正規軍が日本人居留地を攻撃したものであること。これらを私は事実をあげて述べた。東京裁判もこれを認め、日本のシナ事変の開戦責任を問うことはしなかった。それを問えば、戦勝国である中国側の責任があらわになってしまうからだ、とも述べた。

 王毅大使はじっと聞いていたが、それだけだった。これについて、なんの発言もなかったのである。
 この点は、中国の「日本侵略批判」を根底から打ち崩す史実なので、もっと知られるべきと思う。
 王毅大使が盛んに口にしたのは、小泉首相の靖国神社参拝問題だった。
容認することはできないというのである。
知人の一人が、国のために尽くして命を捧げた人を慰霊するのはどこの国でもその国の宗教的習慣に従ってやっていることで、それに口を挟んで批判するのはいかがなものか、内政干渉ではないかと言うと、王毅大使はしきりにかぶりを振った。
そうではない、小泉首相が靖国神社に参拝して戦没者を慰霊するのには、問題を感じていないと言うのである。

 では、何が問題なのか。靖国神社には七人のA級戦犯が合祀されている。それが中国国民には国民感情として許せないのだ、というのが王毅大使の答えだった。そこで私は、A級戦犯とは何かについてやや詳しく述べた。

 東京裁判がA級戦犯とした罪状は平和に対する罪、つまり戦争を計画した罪、戦争を準備した罪、戦争を始めた罪である。日本はポツダム宣言を受諾して降伏したのだが、ポツダム宣言には確かに戦争犯罪人を裁くという条項がある。しかし、ポツダム宣言が発せられた当時、戦争を計画したり準備したり始めたりすることを戦争犯罪とする条項は、国際法のどこにもなかった。
つまり、東京裁判はなんの根拠もなしにA級戦犯と決めつけたのである。ついでに言えば、戦争を計画したり準備したり始めたりするのが犯罪であるという国際法の取り決めは現在もない。

 A級戦犯なるものが、いかに根拠がないものであるか、ということである。
 これは日本だけが主張していることではない。国際社会も東京裁判が無法で根拠がないものだったことを認めているのである。その表れが昭和二十六年に調印されたサンフランシスコ講和条約の第十一条である。

 そこには、東京裁判に代表を出した関係国の一か国以上の同意があれば、A級戦犯を釈放していいと定められているのだ

 事実、講和条約が発効すると、A級戦犯として判決を受けた人たちは直ちに釈放された。もちろん関係国の過半数も同意したからである。これは有り体に言えば、A級戦犯はなかったということである。実際、犯罪受刑者は恩給や遺族年金の対象にならなかったのだが、国会決議を経てA級戦犯とされた人たちにもこれらが支払われることになったのだ。

 また、A級戦犯として終身刑の判決を受けた賀屋輿宣は政界に復帰して法務大臣を務めた。同じく禁固七年の判決を受けた重光葵は副首相兼外務大臣になり、昭和三十年の日本の国連加盟の際は、日本代表として国連で演説を行った。では、A級戦犯を入閣させるとは何事だとか、A級戦犯が日本を代表するのはけしからんとか、どこからか非難の声が出ただろうか。どこからも出なかった。中国も何も言わなかった。A級戦犯はなかったことを認めていたからではないか。

 A級戦犯とは何かについて、事実をそのまま述べる渡部氏の意見に、王大使はどう反論したのか?

 私はこのようなことを述べたのだが、これにも王毅大使の正面からの答えはなかった。ただ、「国民感情が許さないのだ。国民感情が」と、それを経文のように繰り返すばかりだった。

 これは口にする機会がなかったが、では、その国民感情とはどのようなものなのか、である。愛国教育などによって政治的につくり出された妄想ではないのか。当たらずと雖も遠からず、だろう。日本側にだって国民感情があることを忘れているのだ。

 わずか三時間余だったが、王毅大使と話し合ってつくづく感じたことがある。それは、中国が日本に対する際の切り札に使う歴史認識や靖国参拝問題は、中国の心底の思いから出たものではないということである。あくまでも政治的駆け引きの道具として出してきているのである。このことは私のような政治も歴史も素人の言うことを、中国を代表して日本に来ている大使が論理的にはね返せないところによく表れている。はね返さないのではない。はね返せないのである。

 中国に対しては毅然とした態度で、とはこれまでに繰り返し言われてきたことである。このことを確認した次第である。

 中国の靖国参拝批判が論理的なものでないことは、このやりとりを見ても分かる。日本政府も、渡部氏のような史実に基づいた主張をして欲しいものだ。

(参考: 渡部昇一、「歴史の教訓」、「致知」H18.1)

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2006年04月17日

道州制検討の理由 道州制の区割り

道州制の区割り_512.jpg
国と地方の重複解消 身近な行政サービス充実 経済格差は縮まらず 
首相の諮問機関である地方制度調査会が二月末に連州制の区割りなどを盛り込んだ答申をまとめたことで、これまで学識者や政治家の間での議論にとどまっていた構想が具体性を帯び、国民の関心を集めています。答申では九、十一、十三の広域ブロックにかける三つの区割り案=図=が示され、いずれの場合も東京都だけを一つの州とする考えが併せて盛り込まれています。実現すれば、一千万人前後の人口を持つ巨大な自治体が全国に生まれるわけです。

■地方に権限移譲 最太の狙いは、国が持っている権限と財源の一部を地力に移して地方か権を加速させ、「小さな中実政府」をつくることにあります。その際、国の権限を担うための受け皿として、規模が大きく行財政能力も高い広域自治体の整備が必要となるわけです。
 県や市町村が手続きの窓口になっていても、実際には国が許認可権を握っている行政事務は少なくありません。さまざまな権限を名実ともに地方が持てば、より地域の実情に合った行政サービスが期待できます。

■スリム化 答申は、国の出先機関の機能を連州に移すことを提言しています。国と地方で重複する行政事務の無駄を省き、人員を減らしてスリム化を進める効果も見逃せません。国家公務員(一般行政職)三十三万人のうち二十二万人が地方の出先機関に配置されており、統廃合によって大幅なリストラが見込まれます。それだけでなく、囲の仕事が外交や防衛などに限定されれば、不要となる囲の府省すら出てきます。

 道州制の検討が具体化してきたのは、この七年関の「平成の大合併」で市町村数が四割強も減って千八百程度になり広域化した市などの存在感が高まりつつあることも背景にあります。市町村が力を持てば、都道府県そのものが二重行政的な存在となり、改革の対象となってきたわけです。

 明治時代から百二十年続いた都道府県は道州制の実現とともに姿を消します。ただ地域としての名称は残り、州の出先機関が府県ごとに置かれる可能性は高いでしょう。都道府県議会は道州議会に移行し、議員数が大絹に削減されることになります。

■生活の変化は 国から道州に移される権限の一つに、大気や水質の汚染・汚濁防止対策が挙げられています。自動車の排ガスなどから環境を守るには都道府県単位だと難しい面がありますが、道州制で関央州や関西州が生まれれば広範囲での取り組みが進み、環境対策が強化される可能性があります。
 国道や地方空港・、一級河川の管理なども移譲される権限の有力候補です。広範囲の道路を一体的に整備・管理することで、利用者の使いやすさが増すことが考えられます。
地域産業や農業、観光、中小企業の振興対策も道州に権限が移れば、実態に即した政策を素早く実行できるようになるかもしれません。
 事件の解央でも道州制は効果がありそうです。都道府県別の警察組織が道州ごとになれば、縦割り意識からくる連携のまずさが解消され、広域的な事件でも機動的な捜査が期待できるからです。
 一方、都道府県が持っている権限が大幅に移譲され、都市公園や公営住宅の管理、市街化区域の調整や土地区画整理の許可などが市町村に一本化されれば、生活環境の細やかな整備が実現しそうです。

■実現性は不透明 ただ、道州割になっても都道府県関の財政力格差が縮まるわけではありません。大都市圈を抱える州の経済力は高く、それ以外の道州は低いという構図が続きます。
 九区割り案の場合、一大当たりの税収額は東京を含む南関央州が七十五万六千円と最も高く、東北州は四十八万五千円、九州は四十七万三千円と大きな差があります。沖縄州にいたっては三十六万千円と南関央州の半分以下にとどまります。
 答申では「道切な財政調整制度を検討する」とされ、格差是正の仕組みが取り入れられる見込みですが、基礎体力の違いは残ります。
 道州制の導入時期について答申は触れておらず、明確ではありません。大幅な権限移譲やスリム化に対する中央官庁の抵抗は強く、政治家の思惑も絡んで「実現には十年はかかる」とする声もあります。都道府県の間でも州都の獲得をめぐる綱引きが早くも
始まるなど、思惑の違いが表面化し始めています。道州制が具体化に動き出すかどうかは、小泉純一郎首相を引き継ぐ次期首相のりーダーシップに委ねられることになります。
         産経新聞 (村山雅弥)
都道府県制度をめぐる動き_512.jpg
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2006年04月12日

米兵とイラク市民の死者数

イラクで米軍死者が減少傾向、武装勢力の矛先変わる?
イラク情勢
米兵の死者数は段々減りつつあると言っているが、毎月30人前後の死者数
逆にイラク市民の死者数は12月を境に毎月倍増して06年3月は901名となっている。
フセイン政権が倒れて3年 治安部隊、警察、社会基盤が徐々に整備されてるとはいえ、国民議会選挙から4ヶ月 いまだかって新政権が樹立していないのはどういうことであろうか
米兵とイラク市民の死メ数_512.jpg
 【ワシントン=五十嵐文】米国防総省は31日、イラクに駐留する米軍の死者数が5か月連続で減少し、特に3月は29人と過去2番目に少なかったことを明らかにした。

 武装勢力による攻撃が、米軍からイラク人の治安部隊や民間人に向かっていることなどが要因とみられる。

 国防総省によると、2003年3月のイラク開戦以降、06年3月までの米軍死者数は2327人、負傷者は1万7381人。月ごとの死者数で見ると、05年10月の96人以降は減少傾向が続いている。3月の死者29人は、これまでで最少だった2004年2月の20人に次ぐ記録だという。

 ただ、こうした傾向は、必ずしもイラクでの武装勢力による攻撃の減少を示すものではないようだ。イラク治安部隊は現時点で24万2000人で、米軍に代わって攻撃を受ける確率が高まっているほか、宗派対立で民間人が巻き込まれるケースも増えているという。

(2006年4月1日10時36分 読売新聞)
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2006年04月09日

イラク復興支援と主な国のイラク派遣部隊

 一昨年1月からイラク南部のサマワに駐留している自衛隊600名の撤退ができるのか正念場に来ている
ブッシュ大統領は自らの任期中にイラクからの撤退はないと表明している
日本は引くに引けない態勢に追い込まれた
しかし小泉首相の任期は9月、自分が派遣した部隊は自分の任期中にケリをつけるようにするのが首相としてのケジメだと思う

主な国のイラク派遣部隊_512.jpg
イラク支援
「経済」へ軸足移せず
765億円供与発表陸自撤退は不透明
 

外務省は二十八日、イラクヘの復興支援策として総額七百六十五億円の円借款供与を発表した。
政府はイラクからの陸上自衛隊撤退後は政府明発援助(ODA)による経済協力に重点を移し、イラクの復興支援を継続していく方針だ。しかし、イラク国内は宗派・民族間の対立激化で昨年十二月の国民議会選挙から三ヵ月半近くが経過しても新政府発足の見通しがまったく立たない状況で、肝心の陸自撤退の出口はみえていない。

円借款の対象事業は
@イラク南部のウムカスル港整備
A農業の生産性向上を目的としたイラク全土での灌漑
Bバグダッド郊外の火力発電所改修の三分野で、イラクヘの円借款供与は明和六十年以来。

 政府は自衛隊派遣とODAをイラクの復興支援活動の柱に据え、今回の円借款供与決定は陸自撤退後も支援を継続する姿勢を国際社会に向けて明確に示す狙いがある。

 現在、イラクには日本、米国、英国など二十カ国約十六万人の部隊が駐留。一昨年一月からイラク南部サマワで活動している陸自は、約六百人が復興支援を展明している。投入された隊員は延べ約五千人にのぼる。

 日本は、新政府が二月までに発足するのを前提に、三月末から撤退を始め五月末までに完了するシナリオを描いていた。しかし、イラク情勢の混迷で、シナリオは大幅な修正を余儀なくされた。小泉純一郎首相も二十七日の会見で「いつ自衛隊を撤収するかの時期を申し上げる段階にない」と述べざるを得なかった。

 ブッシュ米大統領は二十一日の会見で、自らの任期中は米軍のイラク駐留を継続する考えを表明。「日本が真っ先に撤退を始めたら、米国から批判を浴びることになりかねない」(日米関係筋)との懸念も出ており、撤退時期の判断を下す環境は当面、整いそうにない。                産経新聞18年3月29日付
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2006年04月02日

日中友好7団体に対する胡錦濤主席の発言

胡錦濤主席が靖国に言及 次期首相をけん制
 内政問題化苦しい内情理解要求
 【北京=伊藤正】中国の胡錦濤国家主席が三十一日の日中友好七国体幹部との会談で、日中関係の障害として改めて、小泉純一郎首相らの靖国神社参拝問題を指摘したのは、今秋にも誕生する日本の次期首相を牽制する狙いといえよう。靖国神社参拝問題は、中国の内政問題化しており、参拝が続く限り首脳会談などはできない「苦しい内情」への理解を求めたものと、日中関係筋は受け止めている。

胡錦濤主席の発言要旨
(日中友好7団体の代表【橋本龍太郎】と会談 日本側記者会見などによる)
【日中友好】
 七国体は中日友好事業の力であり、両国民間の交流の重要なかけ橋である。長期にわたり七国体が、国交正常化の分野、友好交流事業の発展のためすぐれた貢献を行い高く評価する。当面は日中関係が国難に直面している状況下で皆さんの来訪により両国人民間の相互理解と友好が増進され、中日間係の改善と発展のため積極的な役割を果たすことを確信している。

【両国の歴史】
 中日両国は海を隔て二千年以上、交流が続いている。近代に入り日本の軍国主義が侵略を行い、多くの犠牲を与えた。しかし犠牲を受けたのは日本人も同様で、損害は両国民にあり、悲しい歴史を明記せざるを得ない。
 自分たちは日本人民と軍国主義をいつも区別してきた。不幸な歴史をつくった責任は少数の軍国主義にあり、自分たちはそういう思いのもとに両国の指導者、有識者と絶え間ない努力を繰り返した結果、一九七二年に国交を回復し、新しいぺージを開いた。そして多分野で全面的な交流を拡大し、多くの成果を収めてきた。
 利するときは双方が利する、争うときは双方が傷つくのが双方の関係であり、中日友好をもって発展させていくことが両国の利益に合致し、アジアの平和にも貢献する。

【靖国神社参拝問題】
 中日両国民の積み上げてきた成績を時に阻害する動きがあったが、近年来、中日間係が因難に直面していることは目にしたくない。その原因は、中国にも日本人民にもなく、問題は日本の少数の指導者がA級戦犯を祭る靖国神社の参拝を繰り返していることにある。
 これが中日両国の関係の基礎を大きく損なっている原因だ。私は一貫して中日間係を重視し、最も重要な二国間間係とし、改善に絶え間ない努力をしてきたつもりだ。
日本の指導者がA級戦犯の祭られた靖国神社参拝をこれ以上行わないとなれば、首脳会談をいつでも開く用意がある。(橋本龍太郎元首相によると、胡主席はこの点を繰り返し強調したという)
 一般の人が戦場で亡くなった人のために靖国神社に行くことと、日本の指導者が行くのは区別している。親族のために行かれるのは良いことでしょう。ただ、政府の代表者が行くということは政府の政策を表しているのではないかと考える。
 被害国の気持ちも尊重しなくてはならない。橋本首相が当時、靖国神社に(途中から)行かれなくなったのは、日本の国家利益を考えたからだろうと理解している。
 
【中国の行方】
 現在の中国はまだ発展途上国であり、経済的にも拡大主義をとるような状況ではない。そもそも中国は他国を武力で威嚇するような意思はない。
そしてこういう考え方をこれからも堅持していく。中日間係は発展の重要な時期にあり、中国が一層前進できるよう力を貸してほしい。中国はこれからも平和の連を進んでいくし、世界のために貢献し、各国とともに平和で調和のとれた社会をつくりたい。将来、覇権を唱えるつもりはない。 
 (北京 野口東秀)
                    産経新聞2006年4月1日から引用
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2006年04月01日

自殺した上海領事館員の遺書

2004年5月、在上海日本総領事館の館員(当時46歳)が自殺した問題で、館員が中国の情報当局から外交機密などの提供を強要され、自殺するまでの経緯をつづった総領事あての遺書の全容が30日判明した。

読売新聞が入手した遺書には、情報当局者が全館員の出身省庁を聞き出したり、「館員が会っている中国人の名前を言え」と詰め寄るなど、巧妙かつ執拗に迫る手□が詳述されている。

中国側が館員を取り込むために用いた中国語の文書も存在しており、これが、日本政府が「ウィーン条約違反」と断定した重要な根拠となったこともわかった。

中国政府は「館員自殺と中国当局者はいかなる関係もない」と表明しているが、遺書と文書はそれを否定する内容だ。

総領事館長の遺書の要旨 自殺した在上海日本総領事館員が総領事にあてた遺書の要旨は、次の通り。

◇ ○○総領事殿
 お世話をおかけして申し訳ございません。
1 カラオケの女性が去年6月、「そのての罪」で公安に捕まるということがありました。後で問いたところ、不思議なことに1日で釈放されたとのことでした。ただし、その女性が勤めるカラオケの情報を毎日報告するというのが条件だったようです。その際、客に××〈電信官の姓〉というのがいるだろうとも言われたと言っていました。また、公安に捕まったことは誰にも公言するなとも言われたそうです。

2(1)7月位に私に「その話」をしただろうと、詰問され否定したところ、留置場に入れられたと、相当おびえておりました。 
 (2)8月に入りその女性が勤める店で「スパイ行為」をはたらいていることを私が他言しないとの確約が欲しいので、私に会って直接話をしたいと言っている。
1度だけ会ってくれないだろうかとその女性から言われました。
 (3)もちろん私は断った上で、絶対に他言はしないと伝えて欲しい旨その女性に言いました。
 (4)略

3 私は、断り続けましたが、弱みもあり、1度だけという約束で、12月の14日に、その女性と一緒に市内の喫茶店で公安と称する彼らに会いました。
 (1) 彼らは2人で現れ1人は唐(隊長)(40歳位)だと名乗り、他の1名は20代前半の女性で陸と名乗り通訳でした。
 (2) まず彼らは、その女性が「スパイ行為」をしていることを絶対に他言しないことを約束して下さいと言いました。私はそれに同意しましたが、彼らは私の行っている行為は中国では違法だが、私の総領事館員の立場を考えて、不問にするとのことでした。
 (3) 特に彼らは、高圧的でもなくむしろ、低姿勢でした。そして、外国人の意見を聞いて、「上海の発展に役立たせたい」様のことを言い、これから友達としてつき合ってくれないかと言ってきました。
 (4) 私は、それは断ると言ったところ、返事は今でなくても良いから、考えてみてくれと、立ち去りました。

4 その後も、返事を聞きたいので会って欲しいと、その女性(カラオケの)を通じて執拗〈しつよう〉に言って来ました。あまりの執拗さに、「弱み」もあり、根負けして、再び会い(12月の末頃だと思います)、私が答えたくないと言うことには答えないという約束で、その後も会うことに同意してしまいました。
 (1) はじめは会っても、日本と中国の習慣の違いとか、上海の悪いところはどんなところだろうといった、とりとめのない話に終始しました。
 (2)略
 (3)略

5 2月20日、私のアパートのフロントに手紙が置かれるということがありました。内容は、国安〈国家・安全省の意味〉だが、総領事か首席〈首席領事の意味〉か私のいずれかに会いたい、誰が会うかはお前が決めろと、携帯電話の番号と電話をする時間等が書かれていました。
 (1) 今考えるとその時、既に完全に彼らの術にはまっていたのですが、うかつにもなんとか館の皆さんに知られずに事を済まそうと、彼らに相談しました。
 (2) 彼らは外国人を守るのは我々の仕事だし、今までも同様のケースが有ったし、心配することはないと、すぐ解決する様なことを言っていました。
 (3) それから、急に彼らと会う機会(「解決」するため)が多くなり、2週間後に「犯人」を逮捕したと言ってきました。
 (4) この時、初めてこの「事件」〈文書が届けられたこと〉は彼らが「仕組んだ」と気づきました。

6 略

7 また、その後3〜4週間会いませんでしたが、女性(カフオケの)を呼び出し、「××は事態を理解していないようだが、大変なことになるぞ」と脅してきたと、彼女から「会った方が良い。心配だ」と言ってきました。4月25日にやはり、市内の喫茶店で会いましたが、私が「礼儀をわきまえていない」、中国では世話になったら、礼を尽くすべきだ等と穏やかに言っていました。「事件解決」の事を指していると思いました。私が、何か目的なんだと聞くと(今までも何度も聞いてました)、やはり外国人の考え方を知りたいなどと、いつものように言っていました。

8 5月2日陸から電話が来て会いたいと言ってきました。この日は、私は素直に会うことを承諾しました。私の転勤をどこかで知ったのだと思いました。
(1) 一番に、唐は総領事館の転勤はどの位であるのかと聞いてきました。私は通常2〜3年だと答えました。あなたはいつ異動するんだと、聞かれたので、来年じゃないかと答えたところ、私(唐)はあなたが、転勤するのは知っている、なぜ黙っていたんだと言って来ました。知っているのなら、聞かなくてもいいではないかと言ったところ、あなたの□から聞きたいと言いました。
 (2) 私は5月28日、日本に帰ると言ったところ、転動だろうと言われ知っているのなら、聞かなくてもいいじゃないかと言う私に、再度あなたの口から聞きたいと言いました。サハリンだと答えると、これからもこのまま「友達」でいたいと言い、いいですかと念を押してきました。私は「断る」とはっきり言いました。
 (3) すると唐の態度が豹変〈ひょうへん〉し、あなたがやって来たことは中国では、法律に違反する。あなたは領事館員という立場で、そういうことをして、ただですむと思っているのか、我々と会っていると言うこと自体、総領事館に知られたら困るのではないか、国と国の問題になるぞと恫喝〈どうかつ〉してきました。仕事を失い、家族はどうなる。あなたが「協力する」と言えば、家族とも一緒に暮らせるし、その女性も幸せに過ごせる。全ては円満に収まるではないか。私達(唐)はあなたが「不幸」になる姿を見たくない等と言い続けました。3時間を経過したとき、私は「承諾する」と言いました。
 (4) そうすると、いきなり唐は当館の館員全員が載っている中文の名簿を出し、この全ての出身省庁を答えろと言いました。
 私は、答えました。すると、当館の館員で「情報収集」(ママ)の課の出身はだれだと言ってきました。
 私は、全員がここの館で初めて会った人なので知らないと答えると、そんなはずはないと執拗に聞いてきましたが、本当に知らないと言い続けるとあきらめたようでした。
 (5) 私たち(唐)はあなたのことは、全て知っている、電信官だろうと言い「あなたの部屋に他の館員は入れないだろう」とまで言いました。私の仕事はPCの管理だと言い張りましたが、報告が全部あなたの所を通るのを知っている、館員が会っている中国人の名前を言えと言われました。
皆パスワードで保護しているので、絶対に見られないと言うと、そんなはずはないが、今日はいいと言い話題を変えました。
 (6) あなたが、私たちに今度会うときに持ってこられるものはなんだと聞かれました。どういうものなのかと聞くと、私たちが、興味のあるものだ、解るだろうと言われました。私は行嚢〈こうのう〉送付のフライトナンバーなら次回持ってこられると言うと、次に持って来るようにということで、解放されました。

 彼らが、私が通信の担当だと知っている以上、これから必ずシステムのことを聞いてくるのは明らかだと思われます。明日6日午後7時にまた会う約束をさせられており、もし会ったら私は日本を裏切ることになりかねません。私がこういう形で、自分の責任を取ろうとしても、もはや手遅れなのは承知しておりますが、一生あの中国人達に国を売って苦しまされることを考えると、こういう形しかありませんでした。ご迷惑は承知の上ですがお許しください。
 略

 総領事本当に、いろいろお気遣い頂いたにもかかわらず、裏切ってしまい本当に申し訳ありません。異動も決まって楽しみにしていたのですが、日本を売らない限り私は出国できそうにありませんので、この道を選びました。
 ご迷惑をおかけしますが、何卒〈なにとぞ〉よろしくお願い致します。この2年間本当にありがとうございました。
 略
  2004、5、5××××〈本人署名〉
 〈 〉内は本紙の注。○○は総領事の姓

館員のゥ宅に届いた中国語の文書_800.jpg

※国家安全省
 国家の防諜(ぼうちょう)業務を専門的に行う政府部門o国家の安全を保つため、他国による国内での諜報活動、スパイ活動の監視、摘発や国家機密の保持を担当する。捜査、逮捕権などを持ち、国家安全を損なう行為を防止するための捜査も認められるなど、独自の権限を与えられている。
              読売新聞2006年3月31日から引用

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