2007年01月27日

日米開戦 最後通告 外務省が公電を改竄

産経新聞18年12月30日付けから引用
クリックすれば読めます
外務省公電を改竄_1024.jpg
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2007年01月25日

2006年7月FIFAランク

算出法変更で日本は18位→49位に

2006年7月のFIFAランク_1024.jpg
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2007年01月24日

「安倍政権に期待すること」桜井よしこ 

日本を代表する女性国士ともいうべき「桜井よしこ」氏の講演が自民党本部であった。
その内容は我々が日頃主張している“国のあり方”とも言うべきものであり、判りやすくまとめてあるので紹介する。

安倍政権に期待すること.doc
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2007年01月22日

シングル女性 米国で過半数日本は42%

 いまや米国女性の過半数はシングル」米国勢調査局がこのほど発表した2005年の国民の生活実態調査で、変わりゆく家族の形が明らかになった。「女性解放」が発展した先進国で進む男と女の”別離”。夫と暮らす女性は少数派に転落し、家族のイメージや社会政策のあり方も様変わりしそうだ。 (坂本英彰)

 調査によると、同国の15歳以上の女性約1億1700万人のうち、夫と同居している女性は約5750万人。それを上回る約5990万人が未婚や離婚、死別、別居といった理由で夫と暮らしていなかった。

 米紙ニューヨーク・タイムズは16日、「51%の女性がいまや配偶者なしで生活」とこの調査を受けて大きく報道。非婚を選ぶ多くの女性の声を、前向きな生き方として紹介している。34年間の結婚生活の未に離婚した59歳の女性は「ある男性に結婚を申し込まれたけど断ったわ。私自身であることを始めたばかりだから、それを奪わないでと言ったの」と話した。

 米国では1960年代、黒人の地位向上を目指す公民権運動などとともに女性解放が大きなうねりとなった。女性の社会進出と経済的な自立が進むのと軌を一にして、女性の暮らし方そのものも夫から離れていった。60年には35%だったシングル率が、70年に40%に、90年には47%と右肩上がりに増え、2005年、ついに半数を上回った。

 平均寿命の短さなどから男性のシングル率は女性より低いが、増加傾向は同じ。夫婦そろって同じ屋根の下という家族の最小単位像もすでに崩壊に向かっている。伝統的な家族の価値を重んじるブッシュ大統領が家族像をどう取り戻すのか、内なる試練になりそうだ。東海ジェンダー研究所理小の水田珠枝・名古屋経済大名誉教授(フェミニズム史)は「今後は母子家庭への支援など社会福祉政策のあり方が大きな問題となってくる」と指摘。

 米国の後を追って女性の社会進出が進んできた日本にとっても人ごとではない。日本でも15歳以上の女性で配偶者がいない割合は42%(2000年)と、半数近くはシングルというのが実態だ。第一生命経済研究所ライフデザイン研究本部の小谷みどり主任研究員は 「女性の経済的自立は結婚に踏み切るハードルを高くする。日本人のシングル率も遠からず、アメリカのレベルに達する」とみる。
産経新聞19年1月22日から引用

米国のシングル女性の割合_512.jpg
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2007年01月21日

旧日本軍「細菌戦研究」の実態

米、機密文書10万ページ公開 石井中将尋問記録も
 米国立公文書館(メリーランド州)は、旧日本軍が当時の満州(現中国東北部)で行った細菌戦研究などに関する米情報機関の対日機密文書10万ページ分を公開した。文書目録によれば、石井四郎軍医中将を含む731部隊(関東軍防疫給水部)関係者の個別尋問記録が、今回の公開分に含まれている。また、細菌戦研究の成果を米軍に引き渡したとされる石井中将が、米側に提出する文書を1947年(昭和22年)6月ごろ執筆していたことを裏付ける最高機密文書も今回明らかになった。
            (ワシントン 山本秀也)

 戦争犯罪を立証  
今月12日に公開された機密文書は、ナチス・ドイツと日本の「戦争犯罪」を調査するため、クリントン政権当時の99年に米政府の関係機関で構成された記録作業部会(IWG)が、米中央情報局(CIA)や前身の戦略情報局(OSS)、日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)などの情報文書を分析し、機密解除分をまとめて公開した。

 IWGの座長を務めるアレン・ウェインステイン氏は、「新たな資料は学者らが日本の戦時行動を理解する上で光を当てる」と意義を強調するが、作業は日本の戦争犯罪」を立証する視点で行われた。日本語資料の翻訳と分析には中国系の専門家も加わっている。

 細菌戦などに関する米側の情報文書は、これまでも研究者が個別に開示請求してきたものの、一度にこれだけ大量に公開された例は少ない。

 情報の一部は34年(昭和9年)にまでさかのぼるが、終戦の45年(同20年)前後4年分が大半を占めている。

 文書内容の大半は731部隊など細菌戦研究に関する内容だ。公開文書の概要によれば、37年12月の南京事件に関する文書が一部含まれる。IWGでは「慰安婦問題」を裏付ける文書も探したが、「目的を達せず、引き続き新たな文書の解析を図る」と述べるなど、調査では証拠が見つからなかったことは認めている。

 日本の使用警戒
 細菌戦の研究競争が大戦下で進む中、米側は日本の細菌兵器使用を終戦まで警戒していたほか、奉天(現落陽)の収容施設で、連合軍の捕虜に細菌実験が行われた形跡がないかを戦後調べたことが判明した。同じく米本土に対しても、日本からの風船爆弾が細菌戦に使われないか、米海軍研究所が回収した現物を大戦末期に調べ、「細菌の散布装置がついていないことから、当面は細菌戦を想定していない」と結論づけた文書も公開された。

 細菌戦に関する米国の日本に対する関心は、44年ごろから終戦までは、細菌兵器の開発状況と731部隊の活動実態の解明に重点が置かれ、終戦から47年ごろまでは、同部隊関係者への尋問による研究成果の獲得へと、重点が移っている。

 米側が最も強い関心を抱いたのは、731部隊を指揮した石井中将だった。45年12月の情報報告には、千葉県の郷里で中将が死亡したことを装った偽の葬式が行われたことも記されているが、翌46年から47年には中将に関する報告や繰り返し行われた尋問の調書が残されている。

 保身引き換えに 石井中将は自らと部下の保身と引き換えに、細菌戦研究の成果を米側に引き渡したとされてきたが、47年6月20日付の米軍最高機密文書は、こうした説に沿う内容を含んでいる。
  「細菌兵器計画の主要人物である石井中将は、問題全体にかかわる協約を現在執車中だ。文書には細菌兵器の戦略、戦術的な使用に関する彼の着想が含まれる。石井中将の約20年にわたる細菌兵器研究の骨格が示される見通しであり、7月15日には完成する」

 同じ文書には、「日本南部の山中」に隠されていた 「細菌に侵された200人以上から採取された病理学上の標本スライド約8000枚」が、47年8月末までに米側に提供されることも付記されていた。

 米側では日本からの情報収集を急ぐ一方、冷戦でライバル関係となる旧ソ連に細菌戦に関する情報が渡ることを強く警戒していた。

 ハバロフスク裁判のため、旧ソ連が請求してきた・細菌戦関連の証拠引き渡しを渋る一方、約30人の731部隊関係者が「モスクワー近郊で細菌兵器の研究プろジェクトに従事している」とする48年4月の情報報告・も今回明らかにされた。 
産経新聞 19年1月18日から引用
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2007年01月20日

06年世界の大学ランキング

06年世界の大学ランキング_1024.jpg
産経新聞19年1月18日付けから引用
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2007年01月18日

確定死刑囚の総数94人

過去20年の死刑の動向_512.jpg

死刑宣告最多の45人
厳罰化世論が後押し
 
今年は全国の地裁、高裁と最高裁で計45人に死刑が言い渡され、裁判所別の統計資料がある昭和54年以降で最も多かったことが29日、分かった。新たに死刑が確定した被告も約40年ぶりに20人に到達。確定死刑囚の総数は同日現在で戦後最高水準の94人に達している。司法関係者からは「凶悪犯罪に厳罰を求める世論の影響が大きい」と指摘する声が上がっている。

 最高裁などによると、今年の死刑判決は全国の地裁で13人、高裁が15人、最高裁が16人。最高裁は54年以降で最多だった。中には公判前整理手続きが適用されたため初公判からわずか2ヵ月で死刑が言い渡され、その2週間後には被告自身が控訴を取り下げて確定したケースも。一方で、富山県高岡市で暴力団組長夫婦が射殺された事件では、死刑求刑事件で戦後6件目(再審での無罪を除く)となる無罪判決もあった。

 また死刑判決を受けた44人以外に、オウム真理数の麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚は期限内に控訴趣意書を提出しなかったことを理由に、判決ではなく決定で東京高裁が控訴を棄却し、最高裁で死刑が確定。麻原死刑囚を含め、今年は計45人に死刑が言い渡されたことになる。

 このうち麻原死刑囚や幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚ら17人が最高裁で死刑が確定。1審の死刑判決後に控訴を取り下げた奈良市の小1女児誘拐殺人事件の小林薫死刑囚らを加えると、今年1年間で新たに計20人の死刑が確定した。

 死刑が確定した被告の数は46年以降、63年を除いてーケタで推移してきたが、平成16年以降は3年連続で2ケタ。20人に達しだのは昭和39年以来となった。
 死刑確定が増える一方で、死刑執行は毎年一ケタにとどまっている。その結果、確定死刑囚の数は61年末の24人から約4倍に急増。今月21日には98人に達したが、25日に4人に刑が執行され、94人になった。

 死刑判決が増加している背景について、今年死刑を宣告された被告の弁護人を務めた弁護士は 「凶悪事件が増えたというより、従来の量刑基準なら無期懲役だった事件でも、死刑が言い渡されるようになっている。厳罰化を求める世論の影響ではないか」と分析。

 ある現役の判事も「平成12年の改正刑事訴訟法施行により、法廷で遺族の意見陳述が認められたことが大きいと思う。これまでも遺族感情に配慮しなかったわけではないが、やはり肉声での訴えは受ける印象がまったく違う」と話している。     産経新聞18年12月30日付けから引用
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2007年01月16日

国民生活に関する世論調査

生活に「不安」67%過去最高(内閣府世論調査)

 内閣府が13日付で発表した 「国民生活に関する世論調査」によると、日常生活で悩みや不安を感じている人が67.6%で、昭和33年の調査開始以来、過去最高となった。

具体的には「老後の生活設計」を挙げる人が最も多く、政府に対して「医療、年金などの社会保障構造改革」を求める人が72.7%に達した。格差拡大や少子高齢化の進行に加え、大量退職が始まる団塊世代や、それに続く世代に共通する暮らしへの不安の高まりが背景にありそうだ。

 調査は昨年10月から11月にかけて、全国の成人男女計1万人を対象に実施し、有効回収率は59.4%。

 悩みや不安の内容(複数回答)は、「老後の生活設計」が4年連続1位で54.0%。
「自分の健康」(48.2%)▽
「家族の健康」(41.2%)▽
「今後の収入や資産の見通し」(38.2%)−が続いた。

政府に対する要望(同)では、
「社会保障改革」が、平成17年6月の前回調査より11.4ポイントの大幅増で3年連続1位。

次いで「高齢社会対策」が9.0ポイント増の54.5%となり、「景気対策」(50.0%)を抜いて初めて2位となった。

 調査結果について内開府は 「年金制度改革関連法の成立などでいったんは落ち着いた老後の不安が、団塊世代の大量退職などを目前に控えて強まったのではないか」と分析している。
産経新聞19年1月14日から引用
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2007年01月15日

日本の歌100選

「赤とんぼ」から「世界に一つだけの花」まで 

文化庁は14日、公募の中から選んだ「親子で歌いつごう 日本の歌100選」を発表した。「さくらさくら」など古くから広く親しまれている曲や、平成15年にSMAPが歌いヒットした「世界に一つだけの花」(作詞作曲・植原敏之)など、世代を問わずに□ずさめる曲が並んだ。

 河合隼雄文化庁長官(病気休職中)が「歌を通じて家族のきずなを確かめるきっかけに」と発案し、昨年9〜11月に全国からはがきや電子メールなどで公募。計6671通895曲の中から、歌手の由紀さおりさんらが委員を務める選考委員会が検討した結果、名曲が多く最終的に101曲を選んだ。

 入選作には「お正月」「赤とんぼ」「めだかの学校」など童謡や民謡が目立つが、「いい日旅立ち」や「上を向いて歩こう」など昭和のヒット曲も入った。

 応募曲にまつわるエピソード募集では、両親から買ってもらったピアノをめぐる親子の思い出をつづった東京都目黒区の平松れい子さん(41)に大賞、ほか15人が特別賞を受賞した。

 文化庁は近く入選作を楽曲集として冊子にまとめる方針で、「音楽の副教材などとして学校現場でも活用してもらいたい」としている。

日本の歌 100選_1024.jpg
産経新聞19年1月15日付けから引用
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2007年01月12日

防衛省の組織改編

防衛省組織改編_512.jpg

産経新聞19年1月10日から引用
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2007年01月11日

住んでみたい街

住んでみたい街.jpg
産経新聞19年1月7日付けから引用
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2007年01月04日

◇特集 悠仁親王は「猿のぬいぐるみ」!「陛下のガン」も笑いのネタにした「皇室中傷」芝居

これは評論家の佐高信、タレントの永六輔、タレントの中山千夏、朝日新聞記者の本多勝一等左翼人士が天皇陛下のご病気を笑いものにし、悠仁親王を猿のぬいぐるみに見立てて、放り投げた芝居の一部始終である。
     
 ソース:週刊新潮 12月7日号 30-32ページ
その瞬間、あまりの下劣さに観客も凍りついた。11月19日、日曜日。
東京の日比谷公会堂で開かれた『週刊金曜日』主催の「ちょっと待った!教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪 緊急市民集会」である。
会場を埋めた2000人近い観客の前で、悠仁親王は「猿のぬいぐるみ」にされ、天皇陛下のご病気もギャグにされる芝居が演じられた……。

その日、東京は冷たい秋雨が降っていた。
高橋尚子が参加した東京女子マラソンがあり、交通規制が都内に敷かれていたその時間に、日比谷公園の一角にある日比谷公会堂でそのイベントの幕は開いた。
安倍政権への対立姿勢を鮮明にする左翼系週刊誌の『週刊金曜日』が主催する緊急市民集会である。

同誌の本田勝一編集委員の挨拶から始まった集会で、問題のパフォーマンスがおこなわれたのは、午後2時半頃からである。
司会を務めるのは、同誌の発行人でもある評論家の佐高信氏だ。

「えー、今日は特別な日なんで、とても高貴な方の奥さんにも来ていただきました。この会場のすぐ近く、千代田区1丁目1番地にお住まいの方です」
佐高氏がそう言うと、舞台の右袖から、しずしずと美智子皇后のお姿を真似たコメディアンが出てきた。
黒いスカートに白のカーディガン、頭には白髪のかつらと、帽子に見立てた茶托を乗せている。

そして、顔は顔面だけおしろいを塗って女装をした男である。
会場は、拍手喝采だ。 「本日は雨の中、多くの国民が集まっている中、なんの集会だかわかりませんが」と切り出すと、大きな笑いが起こった。
「そう言えば、先日、主人と一緒に、ソフトバンクの王貞治監督にお会いしたんです。 王さんは“日の丸のおかげで優勝できました”と、仰っていましたが、この人が日の丸のおかげなんて言うのは、おかしいんじゃありませんか?」
そう言って、コメディアンは笑いをとった。

先日の園遊会で、王監督が、天皇陛下に話した内容を皮肉ったのだ。
続けて、「そう言えば、去年は皇室典範を変えるとか変えないとかで、マスコミがずいぶん騒がしかった。
でも、ウチの次男のところに男の子が生まれたら、それがピタッとおさまっちゃいましたね」
と悠仁親王のことを話題に。

そして、
「今日は、実はその子を連れてきているの。ちょっと連れてきて」と言うと、スタッフが舞台の下からケープに包まれた
赤ちゃんの人形のようなものを壇上の“美智子皇后”に無造作に手渡した。
よく見ると、猿のぬいぐるみである。

“美智子皇后”は、そのぬいぐるみに向かって、 「ヒサヒト!ヒサヒト!」と声をかけながら、その猿の顔を客席に向けたり、ぬいぐるみの腕を動かしたりする。場内は大爆笑。
大受けに満足の“美智子皇后”の芝居は続く。

やがて、抱いている猿のぬいぐるみに向かって、「ヒサヒト!お前は、本家に男の子が生まれたら、お前なんか、イーラナイ!」と叫んで、舞台の左側にポーンと放り投げるパフォーマンスが演じられた。
だが、このシーンで場内は静まり返った。

若者の中にはクスクスと笑いを漏らす者もいたものの、さすがにここまで来ると観客の大半が凍りついてしまったのである。
そして、ここで登場したのが『話の特集』の元編集長でジャーナリストの矢崎泰久氏と、作家であり、タレントでもある中山千夏さんだ。二人は何十年もの間、行動を共にしている“同志”である。

★静まりかえる観客
「これはこれは、さる高貴なお方の奥さんではないですか。
その奥さんにお聞きしたいことがあるんです」
と、矢崎氏。「天皇なんてもう要らないんじゃないですか。天皇なんてのは民間の邪魔になるだけでしょ?」
と聞く二人に“美智子皇后”は、「あら、アタシは民間から上がったのよ」と、応える。

中山女史が、 「そもそも天皇になれるのが直系の男子だけという方がおかしいでしょ?
男でも女でも、長子がなれるようにすべきじゃないでしょうか。
それで、ハタチぐらいになったら、本人の意志で天皇になりたければなり、なりたくなければ一般人になってそれで終わり。

普通の市民のように選挙権も持てるようにすればいい。そうしていけば、天皇家というウチはなくなります」と、持論を展開。

すると、矢崎氏が、 「そう言えば、今日はご主人が来てませんね?」と“美智子皇后”に尋ねる。
「ハイ」
「どこか悪いの?」と、矢崎氏。
「ハイ。知っての通り、病でございまして。マエタテセン?じゃなかった、えーと、あ、そうそう、前立腺を悪くしまして。あまり芳しくないのですよ」
「それはご心配でしょうねえ」
「そうなんです」
そんなやりとりが続いた後、突然、矢崎氏が、「それであっちの方は立つんですか?」と、聞く。

“美智子皇后”は面食らいながら、
「私の記憶では……出会いのテニスコートの時は元気でございました」と、応える。
場内はシーンと静まりかえった。
天皇のご病気までギャグにされたことで、さすがに観客がシラけてしまったのだ。

「笑い声なんてなかったですよ。何て下劣なことを言うのか、と思わず拳を握りしめてしまいました」と、当日、イベントに参加した観客の一人がいう。
「その後も園遊会で来賓とお話をする両陛下の物真似で、笑いをとっていましたね。

憲法や教育基本法の集会だと思っていたのに、結局、この人たちがやりたかったのは、安倍晋三のこきおろしと、皇室を中傷することだけだったんですね」
だが、あきれるばかりの内容は、まだ続いた。

今度は、元放送作家でタレントの永六輔氏が舞台に登場。永氏は、 「ここ(日比谷公会堂)は、昔、社会党の浅沼稲次郎さんが刺殺されたところなんです」 「君が代は、実は歌いにくい曲なんですよ」などと語り、アメリカの「星条旗よ永遠なれ」のメロディーで『君が代』を歌うというパフォーマンスを見せるのである。

当日、集会に来ていた白川勝彦・元自治大臣がいう。 「永六輔さんが、はっきりとした歌声で、君が代を『星条旗よ永遠なれ』のメロディーで歌いました。うまかったので、自然に聞こえましたよ。へえ、こういう歌い方があるんだ、とびっくりしたというか、妙に感心してしまいましたね」
君が代を『星条旗よ永遠なれ』のメロディーで歌う── それは、この緊急市民集会とやらの “正体”がよくわかるものだったのである。

★“反権力”に酔う人々
今回“美智子皇后”を演じたのは、劇団『他言無用』に所属する石倉直樹氏(49)である。
永六輔氏に可愛がってもらって、全国各地のイベントで活躍している芸人だ。

「僕たち(注=メンバーは3人いる)は、テレビではできないタブーに切り込む笑いをやっているんです。持ちネタは、色々ありますよ。杉村太蔵や橋本龍太郎、それに創価学会だって、やってます」と、石倉氏がいう。
「中でも最近は美智子様の芸が目玉になってきてますね。実はお笑い芸人として活動を始めた頃、ちょうど昭和天皇がご病気になって、歌舞音曲慎め、と仕事が次々キャンセルされたことがありましてね。
その時、これはおかしいぞ、と思いました。 16年経った今も、お世継ぎがどうのこうの、とやっている。

何とも言えない怖さを感じます。美智子様のことは好きなんで、出来ればキレイに演じたいんですけどね」
悠仁親王を猿のぬいぐるみにしたことには、 「この小道具はよく使うんです。普段は、名前をそのまま言わないんですが、あの集会では、ついフルネームで言ってしまいました。

(ご病気については)矢崎さんと中山さんに下ネタをふられ、乗せられてしまいました。僕は基本的に下ネタは好きではない。
永六輔さんには以前、永さんがやっておられた渋谷の劇場にも出させてもらいましたし、去年は沖縄公演にも京都のコンサートにも出させてもらいました。

京都では、僕が皇后で、永さんが侍従の役で、色々やりましたよ。僕自身は、これを(市民)運動としてやっているつもりはないし、あくまで自分が面白いと思うことをやっているつもりです」
お笑い芸人としてタブーに挑戦する
──石倉氏は腹を据えて演じているらしい。

だが一方、司会を務めた佐高氏の反応は全く違う。
「皇后を中傷する劇?いやいや、そもそも劇の中で皇室なんて一言も言ってませんよ」 と、こう語るのだ。
「あくまで“さる高貴なお方の奥様”としか言ってないんですから。だから皇室の中傷などではありません。それは受け取る側の見方ですから、こちらがコメントする理由はありませんよ。そんなこと言うなら核議論と同じで、こっちも封殺するな、と言いたいですね」

永六輔氏は、何というか。
「僕はあの日、3時に来いと言われて会場に向かったんですけど、車が渋滞して遅れ、3時半に到着したんです。だから、そのコント自体、見てもいないし、全然わからないですよ。だから『週刊金曜日』に聞いてくださいな」と、知らぬ存ぜぬだ。

石倉氏に比べて、二人は何とも歯切れが悪い。矢崎氏と中山女史に至っては、取材申し込みに対して、梨の礫だ。
永氏は、かつて、童謡『七つの子』など野口雨情の名作を根拠もなく「強制連行された朝鮮人の歌」などと言ってのけ、関係者を激怒させた“前科”がある。

その関係者の一人、作曲家のすぎやまこういち氏は、今回のことをこう語る。
「そうですか。まだ(永氏らは)そんなことをやっているのですか。呆れますね。下品です。 自分に置き換えて考えてみればいい。自分の孫が猿のぬいぐるみにされて、放り投げられたり、病気のことを揶揄されたりしてごらんなさい。人権に対する意識も何もない。彼らは、いつもは人権、人権というくせに、実はそれが彼らの正体なんですよ。」

主催者である『週刊金曜日』の北村肇編集長は、同誌の編集後記でこの集会の模様をこう記している。
<冷たい秋雨の中、2000人近い人びとが集まった。不思議なほどに穏やかな空気が会場には流れ途切れなかった。永田町の住人に対する、満々たる怒りを深く共有しながら、しかし、そこに絶望はなかった>
“反権力”とやらに酔った人々──
彼らに付ける薬は、果してあるのだろうか。

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