2007年06月28日

各国の年金事情

◎年金不信 世界共通 (少子高齢化‥‥各国で破綻懸念 管理「自己責任」に)                         

年金記録の紛失や誤記などで揺れる日本の年金制度。日本が参考にした欧州各国や日本の制度を学んだ韓国などでも、運用や支給をめぐる問題は起きており、制度への不信感も根強い。それだけに「年金管理は自分で」という傾向が強いようだ。

各国の年金事情

●米国
 米国の年金制度は、ブッシュ大統領が2期目の重要課題として公的年金に「個人勘定」を導入する抜本改革を打ち出したが、議会で主導権を握る民主党の反対で、事実上棚上げの状態だ。

 米国の公的年金(OASDI)は賦課方式で、現役世代が給与から支払う社会保障税(保険料に相当)が財源。7600万人に上るペビープーマー世代の給付が始まる来年ごろから財政が悪化、政府の試算では2018年に赤字に転落。42年までには「システム自体が破綻する」(ブッシュ大統領)とされている。

 ブッシュ氏が05年に提起じた改革案は、「個人勘定」を設定して保険料の一部を積み立てていく方法だが、民主党は「公的年金の民営化で、中間層の給付額減少を招く」と撤回を要求。

事実上頓挫、議論は来年の大統領選に主要争点として委ねられた格好だ。

 一方、企業年金は、多くの企業が、個人の掛け金の拠出に企業が積み増し拠出する401kを採用、政府は課税繰り延べの支援を行っている。(ワシントン 渡辺浩生)

●英国
 英国でも高齢化と平均余命の伸びに伴う年金支出の増大で、私的年金は軒並み赤字となり、定年後に期待した額の年金を受給できない事例が増えている。2月には高齢者4人が政府に「失われた年金」の補償を求めた裁判で勝訴した。

 1980年代後半から90年代前半にかけて金融機関が販売した個人年金は、とくに運用実績の悪化と高い解約料で信頼性を失っている。私的年金を奨励した政府の責任も問われている。

 一方、政府と企業、個人が分担して個人の口座に年金保険料を積み立てる私的年金を現在、検討中だ。

公的年金では運用改善のため、給付水準を引き上げる代わりに給付開始時期を遅らせ、同時に、求人情報から年齢制限を撤廃させる法律も生かして就労期間の延長を図ろうとしている。

 だが、英紙タイムズの調査で、育児で就労できない女性はその期間を年金の保険料拠出期間から除かれるのに把握されていなかったことが判明。50万人の女性が本来の年金支給額に満たず、被害総額は計10億ポンド以上に上ると指摘される。   (ロンドン 蔭山実)
 
●ドイツ
 日本がかって導入にあたって参考にしたドイツの年金制度も、″少子化の碑に洗われ、2012年からの支給開始年齢の引き上げに伴う受給できるまでの生活に、不安を覚える高齢者が少なくない。政府は企業に高齢者の積極雇用を働きかけるなど、環境整備に血眼だ。

「実質的な年金の切り下げ」(独労組)ともいえる支給開始年齢の引き上げには2月時点で国民の73%が反対を表明。50歳以上の労働者のうち約1200万人が失業中という背景がある。

 ただ、国民の約4割がいずれ国の年金制度は破綻するとみており、入□(8250万人)の約18%にあたる約1500万人が民間の積み立て年金制度を活用中だ。

 ドイツの民間年金制度は複雑で、受給開始時に予想を下回る低額しかもらえずトラブルとなるケースや、倒産や詐欺などで泣き寝入りを迫られるケースもある。このため、「年金管理は自己責任で」との考えが定着している。   (ベルリン 黒沢潤)

●韓国
 韓国は国民皆年金の日本をモデルに、盧泰愚政権下の1988年に年金制度をスタートしたが、急速な少子高齢化で、このままでは約30年後には破綻することが確実視されている。

対策として保険料引き上げや支給早引き下げなど制度改正案が与野党から国会に提出されているが、大統領選挙を控えた今年、審議は先送りされた。

 ただ、日本のように記録不明などの事態は韓国では起こりえない。朴正煕政権時代の68年に導入された住民登録番号制(国民背番号制)で年金記録を含む個人情報が管理されているためだ。

 国民年金、公務員年金など年金加入者は現在、約1850万人で人口の約40%。小負担高支給をうたい文句に所得の3%からスタートしたが現在は9%。だが資金運用の失敗や自営業者の所得捕捉への信頼度、将来の支給に対する不信などが問題になっている。

 これを捕う制度として、昨年末から退職年金制度が始まり、来年からは基礎老齢年金がスタートする。
 (ソウル 久保田るり子)
産経新聞19.6.21
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2007年06月27日

中国の公害 2万8000件

国民の安全より金儲け優先の国 中国
貴方はこんなところで食事ができますか
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中国の公害 2万8000件

産経新聞19.6.6
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2007年06月26日

岐路に立つ日教組

没落の日教組に実態が分かります
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岐路に立つ日教組
産経新聞19.6.8
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2007年06月24日

【正論】社保庁問題は国鉄問題にそっくり

■全職員の賃金、3割カットせよ

 ≪組織腐敗の根源≫
 国会で毎日のように激しく論争されている年金5000万件記録洩れ問題は、完全に焦点がずれている。社保庁問題はかつての国鉄問題そっくりだと認識すべきだ。調べれば調べるほど2つの問題は同根同種であり、きのうきょう腐敗したというものではない。

 組織腐敗の根源は70年代にまで遡(さかのぼ)る。社保庁の自治労国費評議会(今年4月「全国社会保険職員労働組合」と改称=組合員1万1000人)は72年から79年まで合理化反対のための(1)オンライン化反対と(2)身分を国家公務員から地方公務員に移せという闘争を激しく行っている。75年、国鉄では国労・動労が「スト権奪回スト」を行い違法のストを8日間ぶち抜いた。自治労と国労・動労は共に総評の傘下で運動に参加した。73年、国労の富塚三夫書記長は順法ストやストをうつ覚悟を披瀝してこう述べたものだ。
 「国鉄が円滑に機能しないことは国の力を弱め、資本主義を崩壊させるのに役立つ」
 この倒錯した論理には耳を疑ったが、総評はこれで社会党をバックアップできると信じていた。傘下の社保庁自治労が同じ動機で仕事をサボっていたのは想像に難くない。

 違ったのは、違法闘争のあと、国鉄が毎年赤字を2兆円たれ流し、借金が37兆円も溜まっていることが顕在化し、改革に着手されたことだ。一方の社保庁の内臓疾患は外部に全く見えなかった。国鉄は87年に分割・民営化によって蘇生したが、社保庁は20年経ってようやく同様の手術を受けざるを得なくなった。

 国鉄が腐敗したのは国鉄官僚が国労・動労に迎合したからである。国労とさえうまく付き合えば出世は保証された。労働省の労政担当でさえ国労の機嫌をとった。内部の事情は高木文雄総裁(当時)にさえ報告されず、高木氏は国会や土光臨調の場で「国鉄は徐々に良くなっております」と答えていた。

 ≪社保庁の3層構造≫

 社保庁は(1)長官と厚労省キャリア(2)社保庁採用のプロパー(3)各地方事務所の現地採用−の3層構造になっている。長官は1年在任してハクをつけて天下る。キャリアはことなく済めば2年で本省に帰れる。プロパーもこれらの“お客さん”をうまくあしらう。この状況の中で(3)はますます過激な運動に走った。

 公企体労組の運動に共通しているのは、賃金は人事院や公労委で決まるから必ず労働密度をスカスカにする運動に走ることだ。

 国労は機関車、客車の定期検修の時間まで労使協定で決めさせたが、これを真っ正直にやっても1日の実働は4時間かからなかった。新幹線の窓ガラス取り替えは8人×4時間で1枚と決められていたが、民間委託にしたら3人×1時間で済んだ。

 自治労国費評議会が79年当局と結んだ「覚書」は窓口装置を操作するのは「1日最高300分、キータッチ1万回」というのだが、これは国鉄の労使協定を上回るずっこけ勤労体制だ。

 基礎年金番号は96年度菅直人厚生相の時にシステム化し、小泉純一郎厚相時代に導入した。菅氏に責任があるとか小泉氏だとかいっているが、国鉄の破産前、歴代運輸大臣の責任が問われたことがあったか。菅も小泉も関係ない。

 国鉄といい社保庁といい“外局”の責任は総裁や長官が負うべきもので、高木総裁は時々、国会に呼ばれていた。社保庁長官が呼ばれなかったのは、与野党の責任ではないのか。各長官はほぼ1年務めて天下っている。その無責任体制は国鉄を上回る。

 国家公務員退職手当法では禁固以上の刑以外は退職金の返還を求めることができない。公務員が民間以上に保護されるいわれはない。即刻、手当法を改正して没収すべきだ。またずっこけ職員の給与も最低3割カットすべきだ。カットの理由付けが困難という意見があるが、民間会社が大損失した時、全職員が連帯して責任をとるのは当たり前だ。民間並みに責任をとらせる公務員法の改正を求める。

 ≪民主党がやるべきこと≫

 社保庁改革法は非公務員型の「日本年金機構」を作って、6分割する主旨だ。国鉄の7分割・民営化をなぞった解決法だ。民主党の国税庁と一緒にして「歳入庁」を作れというのは米国式の発想だが、現実問題として大学に中学生を入学させるようなもので無理だ。民主党がやるべきことはまず支持母体の自治労に世間一般の常識を教育してやることだ。小沢一郎氏はこの自治労を選挙の手足にしているが、これではさながら「小沢自治労」だ。(ややま たろう=政治評論家)

産経新聞 19.6.22

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法曹界の超大物ボケ老人

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法曹界の超大物国賊の超大物ボケ老人 
道新19.06.

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2007年06月23日

中国に対するODAの実態

こんな出鱈目な中国にODAは必要か
日本の外務省の見識と決断力の無さを知る

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ODAの実態

産経新聞19.6.20
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2007年06月12日

中国には子供を生む自由はない

中国では1970年代末から人口急増の抑制のため“一人っ子政策”が実施されている。
中国では子供は農家の働き手として重要な稼ぎ手であり、昔から子沢山が当たり前であった。そして子孫繁栄のため子を売買したり、人攫いをしてでも子供を欲しがる傾向がある。
終戦直後の混乱時に満州から引き上げ者から子供を買ったり、日本人の子をさらって天秤棒に乗せて売り歩いたという記録がある。
共産党支配には国民の人権はないという証明がこの記事
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不妊手術の強制
産経新聞19.5.24
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2007年06月11日

ODAと外務省役人の怠慢と無責任

世界3位に転落日本のODA
財政再建優先に外務省が危機感

 政府開発援助(ODA)の実績が年々減り続けていることに、外務省が危機感を抱いている。国際社会で存在感を示す「外交のインフラ」とも呼ばれるODAだが、財政再建を優先する国内事情に押さ
れ、二〇〇六年実績は英国に抜かれ世界三位に転落。来年以降、さらに順位が下がる可能性もある。専門家は「国はODAの透明性を図り、その必要性を国民に丁寧に説明すべきだ」と指摘している。

 経済協力開発機構(OECD)が四月三日に発表した○六年の日本のODA実績は、前年比11.7%減の百十六億ドル(約一兆三千七百億円)。
六年連続首位の米国、前年比17・1%増の英国に続き、1982年(四位)以来二十四年ぶりに三位以下となった。

 「国内総生産(GDP)が国連加盟国で二位の日本が、(ODA実績で)三位、四位、五位と落ちていくのは国としていかがなものか」。麻生太郎外相はこの結果について、危機感をあらわにする。減少傾向にある日本は来年以降、四位のフランスや五位のドイツにも追い抜かれる公算が大きくなっている。

 OECDの開発援助委員会(DAC)によると、日本は九三年から二〇〇〇年まで連続世界一位だった。それが、小泉純一郎前首相の聖域なき構造改革」の下、イラク復興支援とインド洋津波災害救済で増額した○五年を除き、落ち込み続けている。

 外務省は「軍事的支援ができない日本にとって、ODAのような平和的な経済支援は、国際社会の評価を高めるために重要な手段」(幹部)と強調する。だが、昨年の「骨太の方針」は11年度の基礎的財政収支の黒字化を目指し、ODA予算の毎年2−4%の削減を決め、今後も、増額に転じる要素はない。

 ODAに詳しい慶応義塾大総合政策学部の草野厚教授は「海外でどんな成果を挙げているのか、外務省は国民に対して分かりやすく説明を尽くすべきだ」などと提言している。
     北海道新聞19.5.21

ODAと外務省役人の怠慢と無責任
産経新聞19.5.21
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2007年06月10日

中国の衛生観念

中国の衛生観念.bmp
読売新聞19.6.10
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2007年06月03日

李登輝前総統、後藤新平賞受賞記念スピーチ

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 6月2日(土曜日)   
通巻第1815号 (6月1日発行)  

(速報)
「わたしは後藤新平の台湾施政を民主台湾の政治の土台にした」
   李登輝前総統、後藤新平賞受賞記念スピーチで強調
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 6月1日午前、六本木の国際文化会館は早朝から異様な緊張に包まれた。
日頃ならのんびりとテラスで喫茶する外国人宿泊者、新聞をたたむ音しか聞こえないロビィの静けさ。誰もが愛でる日本庭園の美しさ。
独特の静謐は警備陣と報道陣によって一瞬に掻き消された。
 
 第一回「後藤新平賞」に決まった李登輝前台湾総統が記念講演をするからである。
 世界から報道陣がおよそ120名。SPが数名。台湾から随行してきたカメラとテレビクルーも目立ち、ぎっしりと会場の余地を埋めた。日本の台北特派員も随行してきている。
 テレビカメラがずらりと会場の右側と後方を占め、身動きがとれないほどの熱気に溢れた。
参会者はイス席定員120名に対して200名以上。ぎっしりと立ち見も出たが、さらに一部は入場できなくロビィに屯する有様だった。

 偶然、小生の隣席は竹村健一氏、すぐ二人して控え室にいる李登輝総統に挨拶に行った。
控え室には総統ご夫妻を囲んで中嶋峰雄氏、粕谷一希氏、金美齢女史、台湾から同行してきた黄昭堂氏ら。
会場には許世楷(台北駐日経済文化代表処代表)はもちろんのこと、岡崎久彦、櫻井よし子、大宅映子、日下公人、花田紀凱、塩川正十郎、住田良能(産経社長)、小田村四郎氏らの顔もあった。

 授賞までの経過説明を主催者の藤原書店代表が述べたあと、粕谷一希(元『中央公論』編集長)が選考審査過程を披瀝され、受賞牌の贈呈。副賞はシチズンの置き時計で、理由は「シチズン」の銘々が後藤新平による由。

 
 ▼改革への情熱と先見性

以下は李登輝前総統の講演「後藤新平とわたし」の要旨である。

 「後藤新平の生誕百五十年を記念して全集が藤原書店から刊行され、「後藤新平賞」が新設されたことは画期的で、新しい時代の指導者育成を目的とする栄誉に初回に輝けたことを光栄に思う。
 後藤新平は1857年生まれで、1929年に没した。私は1923年生まれ、交差していないが、精神の空間で結ばれている。

 後藤新平は1898年3月から1906年9月まで、8年7ヶ月を台湾民政長官として過ごし、未開だった台湾の近代化のために成し遂げた功績は大きい。その生い立ち、功績、人間としての偉大さを私は深く心に刻み込んできた。
 後藤は貧窮のどん底から立ち上がり、医者から衛生局長となり、1895年児玉源太郎の推挙によって台湾へ赴任した。
かれの復員傷兵の帰国に際しての検疫能力を高くかったから、とされる。

 当時の台湾は匪賊が跋扈し、ペスト、赤痢、チフス、毒蛇が蔓延して、不衛生極まりなく、漢族と原住民部族の対立があり、産業は未開のまま、およそ近代化には遠い状況だった。
 後藤は台湾近代化、台湾の開発に何が目的であり、その目的達成のためには何が大切かを考えて、明治政府の全面的な支援の元に諸改革を実行に移した。

 第一は人材の確保であった。1800人の無能の役人を馘首し、新しい人材を適所に配置した。この中には新渡戸稲造も含まれていた。

 第二に匪賊対策を従来の路線から変更し、単に匪賊を退治するのではなく労働の現場へ配置しなおして、かれらを生産、建設に役立てて任務を教えた。

 第三に「保甲制度」、つまり地方自治の確立である。
 住民の自治を尊び、交通を整備し、戸籍制度の充実と整備をなした。同時に自治の責任を持たせた。

 第四に劣悪な衛生環境を改善し、マラリアなどの退治のために血清の研究と同時に田舎にも医者を配置して政府派遣として医療行政を実地した。
都市部では下水道の整備を急いだ。

 第五が教育の普及である。
(ほかの列強は現地植民地を搾取するばかりで教育をおざなりにしたが)日本は台湾の植民地経営を教育から開始したのだ。

 第六に開発近代化の財源を確保するために地方債券を発行し、内地(日本)の国会の承認を得た。
これにより土地改革がすすみ、鉄道が敷設され、基隆港が整備された。

 第七は「三大専売法」を施行させたことだ。
阿片,樟脳、食塩、酒、煙草が専売となり税金収入が公債の返済に充てられた。

 第八に「台湾銀行」が創設されて台湾銀行券が流通、また「度量法」が統一され、それまで台南と台北で異なった重さや長さの図り方が統一された。

 第九は産業の奨励で、砂糖、樟脳、茶、こめ、阿里山森林の開発が進められて開発が軌道に乗る。

 第十は貿易の拡大であり、そのために外国資本が独占していた商船の運搬を民間にも広げた。

 第十一に後藤の「南進政策」がある。
当時、アモイ、香港への投資も開始され、アモイには台湾銀行支店が設置を見た。

 第十二に国民の生活習慣のなかで弁髪、纏足など悪習を禁止した。
 
 後藤はその後、満鉄総裁として満州に赴くが、もし、台湾に留まっていれば、台湾の行政はさらに異なったレールを走ったことと思われる。


 ▼なぜ、日本人はああまで情熱的だったのか?

 生誕百五十年を待たずに後藤新平の研究がおおいに進み、許文龍氏をして、
「台湾への政策は素晴らしかったけれども、なぜ、日本人はあれほどの情熱を燃やして台湾の近代化に努力したのか」と問いかけている。

とくに拓殖大学で、この研究が進められた。
池田憲彦前拓殖大学教授は「まず明治天皇の御叡慮があり、新しい版図への使命観があった。みずみずしい感受性と、ひるまない精神、つまり『肯定的思考』が多くの勇断を運んだと指摘している。

 いま84歳になる私は、台湾人として生まれた悲哀と、同時に22歳まで日本人だった私が、日本の教育を受け、『肯定的人生』という人生観を体得して、農業の改革に着手し、その後、台北市長、台湾省省長を経て、副総統、そして十二年間にわたって総統として、一滴の血も流さないで台湾に民主化という“静かなる革命”をもたらすことが出来たことを一生の誇りとする。
これらは後藤新平の台湾施政への哲学的基礎の上になりたっており、今日の台湾の民主と繁栄が築かれてきたのだ。

 その精神的な繋がりの空間で、世代と時間をこえての共通の価値があり、だから私は後藤新平を敬愛してきたのである」。

感動的な講演にしばし拍手が鳴りやまなかった。
posted by ディポ at 08:12| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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