2006年05月02日

B−29による殺りく 空襲の記録

昭和17年4月18日 ドウリットル中佐指揮のB25が太平洋上の空母から発進 東京など5都市を奇襲したのが日本初空襲

全国主要都市空襲人的被害要図_512.jpg

ここをクリックすれば大きく見ることができます
「全国主要都市空襲被災状況一覧」
毎日新聞社で調査 全国主要都市空襲被災状況一覧_1600.jpg
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2006年05月01日

外地からの引揚・復員一覧と引揚要図

外地からの引揚者は昭和23年までに600万人を超したがその後も耐えることなく51年までに六百二十九万702人を超えた
方面別海外引揚要図_640.jpg

ここをクリックすれば大きくなります
外地からの引揚・復員一覧
引揚 復員一覧_1600.jpg
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2006年04月29日

BC級戦犯にされた4830人

戦時中 日本軍は「非戦闘員(一般市民等)に対する無差別爆撃」を行なった米軍飛行士たちや反日活動を行なった占領地住民(非正規軍のゲリラ)を国際法違反の罪で多くの連合軍将兵を処刑した

それが戦後「人道の名に於いて」裁かれ、戦争法規違反のBC級戦犯として総計4,830人が各国のそれぞれの基準で復讐裁判として処理された
そのほとんどがろくな調査も弁護も許されず多くのヒトが処刑された
その実態はあまり明らかにされていない
しかしその一部が「戦犯叢書 戦犯虐待の記録等全7巻」国書刊行会で出版されている
添付資料に書かれている数値からどの国が日本人を殺すのに熱心であったかを知ってもらいたい

なお旧ソ連はシベリアの強制収容所に連行し、約6万人が凍死・餓死させられ、毛沢東の共産軍は満州地区において3000〜5000人の殺害を行なったとされているが公的な記録はない
BC級戦犯裁判記録その1.bmp
BC級戦犯裁判記録その2_512.jpg
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2006年04月26日

シベリア捕虜収容所分布図

シベリア捕虜収容所分布図450.bmp
 元日本兵の上野(うわの)石之助さん(83)=ウクライナ在住、岩手県洋野町出身=が4月20日、盛岡市で親族と63年ぶりに対面した。涙で弟や妹と固く抱き合い、「会えてうれしい」と万感の思いを伝えた。上野さんは太平洋戦争中の1943年に樺太(サハリン)に出征。戦後も現地にとどまったが、58年から消息不明になり、00年に戦時死亡宣告が出されていた。

 旧軍出身者も高齢になり約60万人もの日本人が国際法に違反してシベリアへ連行されその1割のヒトが寒さと飢えで奴隷のような扱いを受けて死んでいったことが風化されようとしている

 シベリア鉄道に沿って収容所が建設され、極東地方はもちろんのことモスクワ、ウクライナ、グルジア、北極圏にいたる全土にばら撒かれ、ただ働きの奴隷として使い捨てにされた
最期の帰還船は昭和31年12月であった
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2006年04月24日

世界を驚嘆させた佐久間艇長の遺言

明治43年4月15日 山口県新湊沖で潜航訓練を実施していた第6号潜航艇が沈没
海軍大尉佐久間勉艇長以下14名の軍人が殉職したが、艇長の最期の処置と部下たちの態度は見事なものだったと世界の人たちから驚嘆の声が上がった。

 佐久間艇長遺言 
小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス、誠二申訳無シ、サレド艇員一同、死二至ルマデ皆ヨクソノ職ヲ守リ沈着二事ヲ処セリ、 我レ等ハ国家ノ為メ職ニ斃(たお)レシト雖(いえど)モ唯々遺憾トスル所ハ天下ノ士ハ之ヲ誤リ以テ将来潜水艇ノ発展二打撃ヲ与フルニ至ラザルヤヲ憂フルニアリ、希クハ諸君益々勉励以テ此ノ誤解ナク将来潜水艇ノ発展研究二全力ヲ尽クサレン事ヲサスレバ我レ等一モ遺憾トスル所ナシ、

 沈没ノ原因
瓦素林(がそりん)潜航ノ際過度深入セシ為メ「スルイス」バルブヲ締メントセシモ途中「チエン」キレ依テ手ニテ之レヲシメタルモ後レ後部二満水(セリ)約廿五度ノ傾斜ニテ沈降セリ、

沈据後ノ状況、
一、傾斜約仰角十三度位、
二、配電盤ツカリタル為メ電燈消エ、電攬(でんらん)燃エ悪瓦斯(がす)ヲ発生
 呼吸二困難ヲ感ゼリ、

 十四日午前十時頃沈没ス
 此ノ悪瓦斯(がす)ノ下二手動ポンプニテ排水二力(つと)ム、
一、沈下ト共ニ「メンタンク」ヲ排水セリ、燈消エ ゲージ見エザレドモ「メンタンク」ハ排水シ終レルモノト認ム、電流ハ全ク使用スル能ハズ、電液ハ溢(あふ)ルモ少々、 海水ハ入ラズ 「クロリン」ガス発生セズ、残気ハ五〇〇磅(ポンド)位ナリ、 唯々頼ム所ハ手動ポンプアルノミ、「ツリム」ハ安全ノ為メ ヨビ浮量六〇〇(モーターノトキハ二00位)トセリ、(右十一時四十五分司令塔ノ明リニテ記ス)溢入(いつにゅう)ノ水二浸(ひた)サレ乗員大部衣湿(うるお)フ寒冷ヲ感ズ余ハ常二潜水艇員ハ沈着細心ノ注意ヲ要スルト 共ニ大胆ニ行動セザレバソノ発展ヲ望ム可カラズ、細心ノ余リ 畏縮セザラン事ヲ戒メタリ、世ノ人ハ此ノ失敗ヲ以テ或ハ嘲笑スルモノアラン、サレド我レハ前言ノ誤リナキヲ確信ス、

一、司令塔ノ深度計ハ五十二ヲ示シ、排水ニ勉メドモ十二時迄ハ 底止シテ 動カズ、此ノ辺深度ハ十尋(ひろ)位ナレバ正シキモノナラン。
一、潜水艇士卒ハ抜群中ノ抜群者ヨリ採用スルヲ要ス、カゝルトキニ困ル故、 幸ニ本艇員ハ皆ヨク其職ヲ尽クセリ、満足ニ思フ、 我レハ常ニ家ヲ出ズレバ死ヲ期ス、サレバ遺言状ハ既ニ「カラサキ」引出ノ中ニアリ
 (之レ但私事ニ関スル事 言フ必要ナシ、田口浅見兄ヨ 之レヲ愚父ニ致サレヨ)

 公(こう) 遺 言
謹(つつし)ンデ
陛下ニ白ス、 我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無力ラシメ給ハラン事ヲ、我ガ念頭ニ懸ルモノ之レアルノミ、左ノ諸君ニ宜敷、
 (順序不順)
一、斎藤大臣、
一、島村中将、
一、藤井中将
一、名和少将
一、山下少将
一、成田少将
一、(気圧高マリ鼓マクヲ破ラルゝ如キ感アリ)
一、小栗大佐、
一、井出大佐、
一、松村中佐(純一)
一、松村大佐(竜)
一、松村小佐(菊)
    (小生ノ兄ナリ)

一、船越大佐、
一、成田鋼大郎先生
一、生田小金次先生、
十二時三十分 呼吸非常ニクルシイ

  瓦素林(がそりん)ヲブローアウトセシシ積リナレドモガソリンニヨウタ
一、中野大佐
 十二時四十分ナリ、


 遺書は鉛筆でーぺージに三行から五行書かれてあり、全文で三十九ぺージに及んでいる。
死に直面しながら、簡潔な文章をつづった佐久間艇長の平常心さながらの態度に驚きを禁じ得ない。

「郷土の偉人佐久間勉」 発行所 佐久間勉艇長遺徳顕彰会 
福井県三方郡三方町中央一ノ二 三方町教育委員会、
「日本を護った軍人の物語」祥伝社 岡田幹彦
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/navy-rokugo.htm
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2006年04月21日

「李承晩ライン」の設定と日本海をめぐる日韓関係

 ■日本海をめぐる日韓関係の経緯 
【明治】
38年1月 閣議決定で「竹島」と命名。島根県隠岐島司の所管とする
【昭和】
27年1月 韓国の李承晩人統領が「李承晩ライン」を宣言
28年2月 済州島沖で日本漁船が韓国側の銃撃を受け、漁労長が死亡
  6月 島根県が海上保安庁と共同で竹島を調査。
領土標識(木柱)を建てる
29年7月 韓国の警察隊が竹島に常駐
  9月 日本政府、竹島問題の国際司法裁判所への提訴を韓国に提案。
韓国は拒否
40年6月 日韓基本条約と日韓漁業協定に調印。李承晩ラインは廃止。
竹島問題は紛争処理事項とされるが、韓国は話し合いに応ぜず
52年2月 福田赳人首相が、竹島は「疑う余地のない日本固有の領土」
と表明
【平成】
9年11月 韓国が竹島に500トン級船舶が利用できる接岸施設を完成
10年12月 韓国が竹島に有人灯台を完成
11年1月 新「日韓漁業協定」が発効。
両国が主張する排他的経済水域が重なる海域周辺を暫定水域
と定め、共同管理下におく
14年8月 韓国は「日本海」の呼称を「東海」にすべきだと主張。
これを受け、国際水路機関(IHO)は「大洋と海の境界」
の改訂版で「日本海」の削除を検討。日本政府は抗議
  9月 IHOが「日本海」の呼称の継続を決定
17年3月 島根県議会が「竹島の日」を定める条例案を可決
18年4月 日本が竹島周辺の海洋調査を計画。韓国側は反発

●「李承晩ライン」を設定 不法支配 
日本海をめぐる日韓の対立は昭和二十七年一月、李承晩大統領が一方的に漁船の立ち入り禁止を宣言した「李承晩ライン」に始まる。

 このラインの韓国側には、明治三十八年に島根県所管と定めていた竹島も含まれており、海洋資源保護は建前で、竹島の領有こそが目的だったとされる。

 韓国側は、日本の抗議を無視し、日本漁船を大量に拿捕。韓国警備船が発砲し死者を出す事件もあった。昭和二十九年には竹島に警察隊を常駐させて武力占拠した。
 結局、李承晩ラインは、日韓基本条約と日韓漁業協定が調印されるまで十三年同続く。拿捕された船舶は三百二十八隻、抑留者は三千九百二十九人、死傷者は四十四人に上った。
 
ただ、調印後も韓国は竹島の領有権をめぐっては話し合いに応ぜず、竹島周辺海域での漁船の操業についてはお互いに自由にすることで対応。その間に竹島に灯台やヘリポートなどを建設し、実効支配を強めてきた。

 平成十一年には新日韓漁業協定が発効。排他的経済水域(EEZ)については、両者の主張が重なる部分を共同管理の暫定水域とした。これで日韓両国の日本海を舞台にした争いは沈静化したかにみえたが、今回の海洋調査をめぐる対立は、これまでの妥協案が、問題の「先延ばし」に過ぎなかったことを示している。             産経新聞から引用
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/
http://www2.pref.shimane.jp/kouhou/photo/161/
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2006年04月09日

イラク復興支援と主な国のイラク派遣部隊

 一昨年1月からイラク南部のサマワに駐留している自衛隊600名の撤退ができるのか正念場に来ている
ブッシュ大統領は自らの任期中にイラクからの撤退はないと表明している
日本は引くに引けない態勢に追い込まれた
しかし小泉首相の任期は9月、自分が派遣した部隊は自分の任期中にケリをつけるようにするのが首相としてのケジメだと思う

主な国のイラク派遣部隊_512.jpg
イラク支援
「経済」へ軸足移せず
765億円供与発表陸自撤退は不透明
 

外務省は二十八日、イラクヘの復興支援策として総額七百六十五億円の円借款供与を発表した。
政府はイラクからの陸上自衛隊撤退後は政府明発援助(ODA)による経済協力に重点を移し、イラクの復興支援を継続していく方針だ。しかし、イラク国内は宗派・民族間の対立激化で昨年十二月の国民議会選挙から三ヵ月半近くが経過しても新政府発足の見通しがまったく立たない状況で、肝心の陸自撤退の出口はみえていない。

円借款の対象事業は
@イラク南部のウムカスル港整備
A農業の生産性向上を目的としたイラク全土での灌漑
Bバグダッド郊外の火力発電所改修の三分野で、イラクヘの円借款供与は明和六十年以来。

 政府は自衛隊派遣とODAをイラクの復興支援活動の柱に据え、今回の円借款供与決定は陸自撤退後も支援を継続する姿勢を国際社会に向けて明確に示す狙いがある。

 現在、イラクには日本、米国、英国など二十カ国約十六万人の部隊が駐留。一昨年一月からイラク南部サマワで活動している陸自は、約六百人が復興支援を展明している。投入された隊員は延べ約五千人にのぼる。

 日本は、新政府が二月までに発足するのを前提に、三月末から撤退を始め五月末までに完了するシナリオを描いていた。しかし、イラク情勢の混迷で、シナリオは大幅な修正を余儀なくされた。小泉純一郎首相も二十七日の会見で「いつ自衛隊を撤収するかの時期を申し上げる段階にない」と述べざるを得なかった。

 ブッシュ米大統領は二十一日の会見で、自らの任期中は米軍のイラク駐留を継続する考えを表明。「日本が真っ先に撤退を始めたら、米国から批判を浴びることになりかねない」(日米関係筋)との懸念も出ており、撤退時期の判断を下す環境は当面、整いそうにない。                産経新聞18年3月29日付
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2006年04月02日

日中友好7団体に対する胡錦濤主席の発言

胡錦濤主席が靖国に言及 次期首相をけん制
 内政問題化苦しい内情理解要求
 【北京=伊藤正】中国の胡錦濤国家主席が三十一日の日中友好七国体幹部との会談で、日中関係の障害として改めて、小泉純一郎首相らの靖国神社参拝問題を指摘したのは、今秋にも誕生する日本の次期首相を牽制する狙いといえよう。靖国神社参拝問題は、中国の内政問題化しており、参拝が続く限り首脳会談などはできない「苦しい内情」への理解を求めたものと、日中関係筋は受け止めている。

胡錦濤主席の発言要旨
(日中友好7団体の代表【橋本龍太郎】と会談 日本側記者会見などによる)
【日中友好】
 七国体は中日友好事業の力であり、両国民間の交流の重要なかけ橋である。長期にわたり七国体が、国交正常化の分野、友好交流事業の発展のためすぐれた貢献を行い高く評価する。当面は日中関係が国難に直面している状況下で皆さんの来訪により両国人民間の相互理解と友好が増進され、中日間係の改善と発展のため積極的な役割を果たすことを確信している。

【両国の歴史】
 中日両国は海を隔て二千年以上、交流が続いている。近代に入り日本の軍国主義が侵略を行い、多くの犠牲を与えた。しかし犠牲を受けたのは日本人も同様で、損害は両国民にあり、悲しい歴史を明記せざるを得ない。
 自分たちは日本人民と軍国主義をいつも区別してきた。不幸な歴史をつくった責任は少数の軍国主義にあり、自分たちはそういう思いのもとに両国の指導者、有識者と絶え間ない努力を繰り返した結果、一九七二年に国交を回復し、新しいぺージを開いた。そして多分野で全面的な交流を拡大し、多くの成果を収めてきた。
 利するときは双方が利する、争うときは双方が傷つくのが双方の関係であり、中日友好をもって発展させていくことが両国の利益に合致し、アジアの平和にも貢献する。

【靖国神社参拝問題】
 中日両国民の積み上げてきた成績を時に阻害する動きがあったが、近年来、中日間係が因難に直面していることは目にしたくない。その原因は、中国にも日本人民にもなく、問題は日本の少数の指導者がA級戦犯を祭る靖国神社の参拝を繰り返していることにある。
 これが中日両国の関係の基礎を大きく損なっている原因だ。私は一貫して中日間係を重視し、最も重要な二国間間係とし、改善に絶え間ない努力をしてきたつもりだ。
日本の指導者がA級戦犯の祭られた靖国神社参拝をこれ以上行わないとなれば、首脳会談をいつでも開く用意がある。(橋本龍太郎元首相によると、胡主席はこの点を繰り返し強調したという)
 一般の人が戦場で亡くなった人のために靖国神社に行くことと、日本の指導者が行くのは区別している。親族のために行かれるのは良いことでしょう。ただ、政府の代表者が行くということは政府の政策を表しているのではないかと考える。
 被害国の気持ちも尊重しなくてはならない。橋本首相が当時、靖国神社に(途中から)行かれなくなったのは、日本の国家利益を考えたからだろうと理解している。
 
【中国の行方】
 現在の中国はまだ発展途上国であり、経済的にも拡大主義をとるような状況ではない。そもそも中国は他国を武力で威嚇するような意思はない。
そしてこういう考え方をこれからも堅持していく。中日間係は発展の重要な時期にあり、中国が一層前進できるよう力を貸してほしい。中国はこれからも平和の連を進んでいくし、世界のために貢献し、各国とともに平和で調和のとれた社会をつくりたい。将来、覇権を唱えるつもりはない。 
 (北京 野口東秀)
                    産経新聞2006年4月1日から引用
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2006年04月01日

自殺した上海領事館員の遺書

2004年5月、在上海日本総領事館の館員(当時46歳)が自殺した問題で、館員が中国の情報当局から外交機密などの提供を強要され、自殺するまでの経緯をつづった総領事あての遺書の全容が30日判明した。

読売新聞が入手した遺書には、情報当局者が全館員の出身省庁を聞き出したり、「館員が会っている中国人の名前を言え」と詰め寄るなど、巧妙かつ執拗に迫る手□が詳述されている。

中国側が館員を取り込むために用いた中国語の文書も存在しており、これが、日本政府が「ウィーン条約違反」と断定した重要な根拠となったこともわかった。

中国政府は「館員自殺と中国当局者はいかなる関係もない」と表明しているが、遺書と文書はそれを否定する内容だ。

総領事館長の遺書の要旨 自殺した在上海日本総領事館員が総領事にあてた遺書の要旨は、次の通り。

◇ ○○総領事殿
 お世話をおかけして申し訳ございません。
1 カラオケの女性が去年6月、「そのての罪」で公安に捕まるということがありました。後で問いたところ、不思議なことに1日で釈放されたとのことでした。ただし、その女性が勤めるカラオケの情報を毎日報告するというのが条件だったようです。その際、客に××〈電信官の姓〉というのがいるだろうとも言われたと言っていました。また、公安に捕まったことは誰にも公言するなとも言われたそうです。

2(1)7月位に私に「その話」をしただろうと、詰問され否定したところ、留置場に入れられたと、相当おびえておりました。 
 (2)8月に入りその女性が勤める店で「スパイ行為」をはたらいていることを私が他言しないとの確約が欲しいので、私に会って直接話をしたいと言っている。
1度だけ会ってくれないだろうかとその女性から言われました。
 (3)もちろん私は断った上で、絶対に他言はしないと伝えて欲しい旨その女性に言いました。
 (4)略

3 私は、断り続けましたが、弱みもあり、1度だけという約束で、12月の14日に、その女性と一緒に市内の喫茶店で公安と称する彼らに会いました。
 (1) 彼らは2人で現れ1人は唐(隊長)(40歳位)だと名乗り、他の1名は20代前半の女性で陸と名乗り通訳でした。
 (2) まず彼らは、その女性が「スパイ行為」をしていることを絶対に他言しないことを約束して下さいと言いました。私はそれに同意しましたが、彼らは私の行っている行為は中国では違法だが、私の総領事館員の立場を考えて、不問にするとのことでした。
 (3) 特に彼らは、高圧的でもなくむしろ、低姿勢でした。そして、外国人の意見を聞いて、「上海の発展に役立たせたい」様のことを言い、これから友達としてつき合ってくれないかと言ってきました。
 (4) 私は、それは断ると言ったところ、返事は今でなくても良いから、考えてみてくれと、立ち去りました。

4 その後も、返事を聞きたいので会って欲しいと、その女性(カラオケの)を通じて執拗〈しつよう〉に言って来ました。あまりの執拗さに、「弱み」もあり、根負けして、再び会い(12月の末頃だと思います)、私が答えたくないと言うことには答えないという約束で、その後も会うことに同意してしまいました。
 (1) はじめは会っても、日本と中国の習慣の違いとか、上海の悪いところはどんなところだろうといった、とりとめのない話に終始しました。
 (2)略
 (3)略

5 2月20日、私のアパートのフロントに手紙が置かれるということがありました。内容は、国安〈国家・安全省の意味〉だが、総領事か首席〈首席領事の意味〉か私のいずれかに会いたい、誰が会うかはお前が決めろと、携帯電話の番号と電話をする時間等が書かれていました。
 (1) 今考えるとその時、既に完全に彼らの術にはまっていたのですが、うかつにもなんとか館の皆さんに知られずに事を済まそうと、彼らに相談しました。
 (2) 彼らは外国人を守るのは我々の仕事だし、今までも同様のケースが有ったし、心配することはないと、すぐ解決する様なことを言っていました。
 (3) それから、急に彼らと会う機会(「解決」するため)が多くなり、2週間後に「犯人」を逮捕したと言ってきました。
 (4) この時、初めてこの「事件」〈文書が届けられたこと〉は彼らが「仕組んだ」と気づきました。

6 略

7 また、その後3〜4週間会いませんでしたが、女性(カフオケの)を呼び出し、「××は事態を理解していないようだが、大変なことになるぞ」と脅してきたと、彼女から「会った方が良い。心配だ」と言ってきました。4月25日にやはり、市内の喫茶店で会いましたが、私が「礼儀をわきまえていない」、中国では世話になったら、礼を尽くすべきだ等と穏やかに言っていました。「事件解決」の事を指していると思いました。私が、何か目的なんだと聞くと(今までも何度も聞いてました)、やはり外国人の考え方を知りたいなどと、いつものように言っていました。

8 5月2日陸から電話が来て会いたいと言ってきました。この日は、私は素直に会うことを承諾しました。私の転勤をどこかで知ったのだと思いました。
(1) 一番に、唐は総領事館の転勤はどの位であるのかと聞いてきました。私は通常2〜3年だと答えました。あなたはいつ異動するんだと、聞かれたので、来年じゃないかと答えたところ、私(唐)はあなたが、転勤するのは知っている、なぜ黙っていたんだと言って来ました。知っているのなら、聞かなくてもいいではないかと言ったところ、あなたの□から聞きたいと言いました。
 (2) 私は5月28日、日本に帰ると言ったところ、転動だろうと言われ知っているのなら、聞かなくてもいいじゃないかと言う私に、再度あなたの口から聞きたいと言いました。サハリンだと答えると、これからもこのまま「友達」でいたいと言い、いいですかと念を押してきました。私は「断る」とはっきり言いました。
 (3) すると唐の態度が豹変〈ひょうへん〉し、あなたがやって来たことは中国では、法律に違反する。あなたは領事館員という立場で、そういうことをして、ただですむと思っているのか、我々と会っていると言うこと自体、総領事館に知られたら困るのではないか、国と国の問題になるぞと恫喝〈どうかつ〉してきました。仕事を失い、家族はどうなる。あなたが「協力する」と言えば、家族とも一緒に暮らせるし、その女性も幸せに過ごせる。全ては円満に収まるではないか。私達(唐)はあなたが「不幸」になる姿を見たくない等と言い続けました。3時間を経過したとき、私は「承諾する」と言いました。
 (4) そうすると、いきなり唐は当館の館員全員が載っている中文の名簿を出し、この全ての出身省庁を答えろと言いました。
 私は、答えました。すると、当館の館員で「情報収集」(ママ)の課の出身はだれだと言ってきました。
 私は、全員がここの館で初めて会った人なので知らないと答えると、そんなはずはないと執拗に聞いてきましたが、本当に知らないと言い続けるとあきらめたようでした。
 (5) 私たち(唐)はあなたのことは、全て知っている、電信官だろうと言い「あなたの部屋に他の館員は入れないだろう」とまで言いました。私の仕事はPCの管理だと言い張りましたが、報告が全部あなたの所を通るのを知っている、館員が会っている中国人の名前を言えと言われました。
皆パスワードで保護しているので、絶対に見られないと言うと、そんなはずはないが、今日はいいと言い話題を変えました。
 (6) あなたが、私たちに今度会うときに持ってこられるものはなんだと聞かれました。どういうものなのかと聞くと、私たちが、興味のあるものだ、解るだろうと言われました。私は行嚢〈こうのう〉送付のフライトナンバーなら次回持ってこられると言うと、次に持って来るようにということで、解放されました。

 彼らが、私が通信の担当だと知っている以上、これから必ずシステムのことを聞いてくるのは明らかだと思われます。明日6日午後7時にまた会う約束をさせられており、もし会ったら私は日本を裏切ることになりかねません。私がこういう形で、自分の責任を取ろうとしても、もはや手遅れなのは承知しておりますが、一生あの中国人達に国を売って苦しまされることを考えると、こういう形しかありませんでした。ご迷惑は承知の上ですがお許しください。
 略

 総領事本当に、いろいろお気遣い頂いたにもかかわらず、裏切ってしまい本当に申し訳ありません。異動も決まって楽しみにしていたのですが、日本を売らない限り私は出国できそうにありませんので、この道を選びました。
 ご迷惑をおかけしますが、何卒〈なにとぞ〉よろしくお願い致します。この2年間本当にありがとうございました。
 略
  2004、5、5××××〈本人署名〉
 〈 〉内は本紙の注。○○は総領事の姓

館員のゥ宅に届いた中国語の文書_800.jpg

※国家安全省
 国家の防諜(ぼうちょう)業務を専門的に行う政府部門o国家の安全を保つため、他国による国内での諜報活動、スパイ活動の監視、摘発や国家機密の保持を担当する。捜査、逮捕権などを持ち、国家安全を損なう行為を防止するための捜査も認められるなど、独自の権限を与えられている。
              読売新聞2006年3月31日から引用

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2006年03月27日

中国の軍拡 兵器輸入ダントツの1位

通常兵器の輸入総額_550.jpg

中国、軍拡浮き彫り 01−05年 兵器輸入最大の1兆5600億円
 [ロンドン=蔭山実]
中国の達常兵器輸入総額が2001〜05年で計百三十三億四千三百万ドル(約一兆五千六百億円)となり、世界最大だったことがスウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の推計で明らかになった。

年別の輸入額でも中国は04〜05年はいずれも一位で軍備増強を着実に図っている状況が浮き彫りになっている。
 同研究所は独自の予防に基づいて一九九五年以降、年ごとの各国の軍事費の動向を分析、二十二日に05年の最新推計をまとめた。兵器輸入額で一位の中国はロシアを主要な輸入先とし、早期警戒機や対空ミサイルの購入決定などで空軍戦力を拡充するとともに、陸軍、海軍も兵器輸入に強い関心を抱いているという。
 中国は国防費の実態が不透明だと批判されており、台湾との関係など東アジアの安全保障に中国の軍備増強が大きな影響を及ぼすとの懸念が、日本や米国で強まっている。
 最新推計では、01〜05年の兵器輸入総額で中国に次ぐのは急速な経済成長で中国と競い合っているインドで、計九十三億五千五百万ドルに達した。他方、達年の原油価格高騰に伴う石油収入の増大で、中東地域の産油国が軍備増強に乗り出していることも明らかになっている。
 産油国ではアラブ首長国連邦(UAE)が急速に兵器輸入に乗り出し、01〜05年の兵器輸入総額で世界四位に入る水準にまで達している。同研究所は核開発を進めるイランヘの警戒心が軍備増強に拍車をかける要因になっているとみている。
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2006年03月07日

「田中上奏文(メモリアル)」に関する資料

 一個の悪意を持った偽造文書が、日本を世界制覇の野望を持った国と決め付け、それを信じた米国のルーズベルト大統領が日本を追い詰め、戦争に引きずり込んだ。
戦後西側では偽造であったと認められているが、中国はいまもこの偽造文書を利用し、日本を侵略国家と決め付けている。

●「田中上奏文」は存在しない偽文書であると中国側が認める
 中国が日本の大陸侵略意図の証拠としてきた「田中上奏文」について、中国政府直属の学術研究機関である社会科学院の将立峰・日本研究所所長が「存在しなかったという見方が主流になりつつある」と述べ、偽文書であることを事実上認めていたことが一日、分かった。

 昨年十二月に中国を訪問した新しい歴史教科書をつくる会の八木秀次会長(当時)らのグループに語った。
 田中上奏文は、昭和二年に当時の田中義一首相が昭和天皇に報告した文書の体裁をとり、日本や欧米では偽文書であることが証明されているが、中国では歴史教科書に記述されるなど事実として宣伝されてきた。
 しかし、蒋所長は八木氏らに「実は今、中国では田中上奏文は存在しなかったという見方がだんだん主流になりつつある。そうした中国の研究成果を日本側は知っているのか」と、中国の研究成果としても偽文書が通説であることを明らかにした。
 蒋所長は社会科学院の世界歴史研究所や日本研究所で日本近現代政治史や中日関係の研究を長年続けてきた中国の日本研究の責任者。
 八木氏は「偽文書だと分かっているなら、中国政府は田中上奏文を根拠とした対日非難をやめ、教科書記述も改めるべきだ」と話している。八木氏らと中国側のやり取りは一日に発売された月刊「正論」四月号に掲載されている。

■田中上奏文〜 昭和2年に政府が中国関係の外交官や軍人を集めて開いていた「東方会議」の内容を当時の田中義一首相が昭和天皇に報告した文書を装い、「世界を征服しようと欲せば、まず中国を征服しないわけにはいかない。これは明治天皇が遺した政策である」などと書かれている。4年に中国語の印刷物が現れ、英語版やロシア語版も登場した。あり得ない日付が記されるなど事実関係の誤りが多く、当初から偽文書と判明していたが、中国では本物として広まった。
**************************************************************産経新聞から引用
●1930年代、日本の世界制覇野望の証拠とされた「田中上奏文」
 偽造はソ連? 作成の2年前トロツキーが確認
 日米対立の操作目的か

 【ワシントン6日=前田徹】 一九三〇年代の米国や中国で日本の世界制覇野望の証拠として使われてきた「田中メモリアル(上奏文)」は偽造文書と指摘されているが、ソ連国家政治保安部(GPU)がその偽造に深く関与していた可能性が強いことが、米国のソ連関連文書専門家によって明らかにされた。亡命したソ連指導者の一人、トロツキーが上奏文作成時の二年も前にモスクワでその原文を目にしていたことを根拠にしており、日米対立を操作する目的で工作したと推測している。

 米下院情報特別委員会の専門職員として、ソ連の謀略活動を研究してきたハーバート・ロマーシュタイン氏が、元ソ連国家保安委員会(KGB)工作員で米国に亡命したレフチェンコ氏と共同で米国内のKGB活動の実態を明らかにする目的で調査した際に、偽造文書といわれる田中上奏文作成にソ連情報機関が関与し
ていたのではという疑惑が浮かんだ。

 「田中上奏文」は、一九二七年から二九年にかけて内閣を率いた田中義一首相が昭和天皇にあてて提出した上奏文とされ、その内容は「日本が世界制覇を連成するためにはまず中国、モンゴルを征服し、その過程で米国を倒さなければならない」としている。この上奏文によって第二次大戦に至る日中戦争、真珠湾攻撃は、計画的な日本の野望達成への一環だったとされてきた。

 ところが、ロマーシュタイン氏らの調査では、トロツキーが暗殺される直前の四〇年に雑誌「第四インター」に投稿した遺稿ともいえる論文の中に、田中上奏文に関しての貴重な証言が含まれていた。

 トロツキーは、スターリンによって追放される前で、まだソ連指導部の一人トップだったジェルジンスキーから「東京にいるスパイが大変な秘密文書を送ってきた。日本は世界制覇のために中国を征服し、さらに米国との戦争も想定している。天皇も承認している。これが明らかにされれば国際問題化し、日米関係がこじれて戦争に至る可能性もある」との説明を受けた。

 当初、トロツキーは「単なる文書だけで戦争は起こらない。天皇が直接、署名するとは考えられない」と否定的だったが、その内容が日本の好戦性と帝国主義的政策を証明するセンセーショナルなものだったためソ連共産党政治局の重要議題として取り扱いが協議され、結局、「ソ連で公表されると疑惑の目で見られるので、米国内のソ連の友人を通じて報道関係者に流し、公表すべきだ」とのトロツキーの意見が採用されたと証言している。

 ロマーシュタイン氏はこうした経緯を検討した結果、GPUが二五年に日本外務省内のスパイを通じて
なんらかの部内文書を入手した可能性は強いが、田中上奏文は、盗み出した文書を土台に二七年に就任した田中義一首相署名の上奏文として仕立て上げたと断定している。

 同氏によると、トロツキーが提案した「米国内の友人」を通しての公表計画は米国共産党が中心になって進めており、三〇年代に大量に配布された。しかも日本共産党の米国内での活動家を通じて日本語訳を出す準備をしていることを示す米共産党内部文書も見つかっており、実は田中上奏文の日本語版が存在しないことをも裏付けているという。
 
■ 田中メモリアル(上奏文)
 1927年6月27日から7月7日にかけて聞かれた川中義一首相主宰の中国およびアジア戦略会議の結論を昭和天皇に対し上奏(じょうそう)したとされている。日本の世界帝国建設のためには中国、モンゴルの征服は必然で、その過程で米国と対決するというもので、米国との戦争を明確にした点が米国内で強い反発を呼んだ。
 29年に中国の雑誌「時事月報」に発表されたのが最初で、その後、30年代に米国を中心に広く配布され、ルーズベルト大統領もその内容に注目したことが記録に残っている。
ソ連のコミンテルンは31年12月の雑誌「国際共産主義者」でロシア語版を発表している。
 しかし、文書内の日付などに矛盾が多く、上奏文にもかかわらず表現が不穏当などという指摘が当初から多く、偽造との見方が強かった。戦後の東京裁判でも、キーナン検事が日本の計画的侵略を裏付ける資料として文書を使おうとしたが、不確かな内容のため結局は使われなかった。
                               産経新聞から引用 
 

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2006年02月27日

国連事務総長の後任選び

アナン国連事務総長(ガーナ出身)の後任選びが始まった。
今回は輪番で行けばアジアから選出される予定だが、必ずしもスムーズには行かないようだ。
主導権を発揮したい米国と中華の国中国が綱の引き合いをやっている。
いずれにしても常任理事国相手に日本の存在感を示せるかどうか、国家としてのプライドがかかっている。
********************産経新聞18年2月26日付から引用
名乗りを上げた3候補.jpg

○国連事務総長選び米中が火花
中国:輪番支持、政治力期待
米国:人物・管理能力を重視
 今年末で任期が切れるアナン国連事務総長の後任選びが早くも過熱している。
韓国の瀋基文(パンギムン)外交通商相(61)も正式に出馬表明し、レースは本格的にスタートした。
カギを握る米国と中国は選出方法や理想の人物像を巡って火花を散らしている。

アナン後継議論本格化
■仕掛け人
 米英仏中露の安全保障理事会常任理事国5か国は16日、事務総長選びに関する初の会合を開いた。24日には非常任理事国10か国を交えた安保理全体の協議が行われ、9〜10月を目標に事務総長を選ぶ方向でほぼ合意した。過去の事務総長選びでは、秋に入ってから議論が本格化し、選出が年末にずれ込んでいたことを考えると、異例の早さだ。
 議論をリードするのは2月の安保理議長国である米国のボルトン国連大使。「アナン氏から引き継ぎをきちんと受け、国連改革を続けて推進するには早く選ぶべきだ」というのが持論で、この日も「9〜10月に決めたいなら、9月に動き出すのでは遅い」と協議の加速を求めた。

■次はアジア?
 米国主導の動きをけん制するのは中国だ。
 ボルトン大使は「地域グループの輪番制は認めない」と繰り返すのに対し、王光亜・中国国連大使は「アジアの候補を支持する」と表明している。
 国連にはアジア、アフリカ、西欧、東欧、中南米、北米その他−11の六つの地域グループがある。歴代事務総長は西欧から3人、アフリカから2人、アジア、中南米から1人ずつ出ている。だから「次はアジア」との声が大勢を占めるのだが、実際は「輪番制」というほど公平に回っていない。西欧やアフリカ出身者は2人続けて就任した。地域グループの実態がない北米は別としても、東欧は1人も出していない。ボルトン大使は「輪番制なら東欧を優先すべきだ」と皮肉る。
 一方、アジアやアフリカの国にとって、輪番制はいつか自分たちの順番が回ってくる「既得権」だ。中国は輪番制を支持することでアジアとアフリカに「貸し」を作れる。ロシアもアジア候補を支持するが、その背景には、親米反露の傾向が強い東欧の候補への拒否感がある。地域グループと大国の利害が交錯し、事態は複雑化している。

■2つの顔
 国連事務総長は二つの顔を持つ。巨大な官僚組織を統括する行政の長と、紛争や貧困の解消に向け、各国首脳らと協議する「国際社会代表の外交官」だ。
 米国は前者を重視する。対イラク人道支援事業の不正で明るみに出た国連の腐敗体質の一掃、不要な事業の見直し、人事の効率化を断行できる人物が望ましく、ボルトン大使は「政治力より管理能力の方がずっと重要だ」と明言する。「出身地域でなく人物本位で」と強調するゆえんだ。
 ある国連外交筋はアナン氏を念頭に「米国は外遊ばかりで政治好きの事務総長を必要としない」と語る。
しかし、既得権が侵されることを心配する途上国は「米国流人事」に猛反発する。中国が途上国の立場に立つ以上、この問題でも対立は深まる。

■死のキス
 安保理で選出されるには、常任理事国5か国すべてを含む9か国以上の支持が必要だ。常任理事国が1か国でも拒否権を使えば、否決される。1996年は14か国がブトロス・ガリ氏続投を支持した可米国が拒否権を行使した。
 国連外交筋の間では、米国が好む東欧の候補が多数の支持を得ても、中露が最後に拒否権を行使するとささやかれている。米国の支持は不可欠だが、過度の接近は反米感情の強い他国の結束を促し逆効果。外交用語で「死のキス」と呼ばれる事態を防ぐのに、各候補は神経を使わざるをえない。米コロンビア大のエドワード・ラック教授は「米中の支持を同時に集められる候補が最有力だ」と予測する。

○韓国・潘外相ら3氏名名乗り
【ソウル=福島恭二】立候補を表明している3候補のなかでは有力とされる外交通商相について、韓国政府は昨年10月に擁立を正式決定した。だが、「早く名乗D出ると不利」と判断し、発表のタイミングをうかがってきた。

政府関係者によると、潘氏は1、2月の米国、欧州の訪問の際、アナン事務総長や主要国大使、外相らと精力的に会談し、非公式に出馬の意向を示した。この時に得た反応が悪くなく、事務総長選びの動きが早まっていることも考慮し、発表に踏み切ったという。

 潘氏は14日の会見で、「36年間の公務で10年は国連関連の業務に直接従事した」と述べるなど、国連総会議長の秘書室長を務めたことなどを挙げ、″国連通″をアピールした。韓国政府としても、外交通商相にとどまらせ、国際会議や外相会談を通して支持拡大をはかる戦略だ。政府関係者は「感触は悪くはない米中が拒めない雰囲気を築いていかなければ」と述べている。

 潘氏のほかに名乗りを上げているのはタイのスラキアット副首相(47)とスリランカのダナパラ元国連事務次長(67)。
スラキアット氏は米ハーバード、タフツ両大学で学び、37歳の若さで蔵相に就いた経歴の持ち主。国際社会での発言力強化を狙うタイ政府の全面支援に加え、「東南アジア諸国連合(ASEAN)の支持も得ている」と強調するが、カギを握る米国は冷ややかだ。
 事務次長を5年間務めたダナパラ氏は「(各国の)合意を得るには国連での経験が不可欠」と訴える。ただ、おひざ元の南アジアでも支持取り付けが難航している上、スリランカ政府の動きも鈍く、状況は厳しい。
歴代の国連事務総長.jpg事務総長の選出過程.jpg
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2006年02月07日

北方領土問題

北方領土の変遷.jpg連軍の北方領土占領.jpg 
◎半世紀以上続く北方領土問題

 領土をめぐる紛争が世界中で絶えない中、日本も例外ではなく、「北方領土」をめぐる問題について戦後からずっとロシアと係争中である。

 第二次世界大戦末期、旧ソ連は「日ソ中立条約」を一方的に破棄して参戦し、日本がポツダム宣言を受諾して終戦となった後の8月28日から9月5日までの間に、北方四島のすべてを占領してしまった。

当時、四島には日本大が約1万7千人住んでいたが、ソ連は1946年に四島を自国領に編入、1949年までにすべての日本人を強制退去させた。

 北方領土とは、ロシアに占領されたままになっている北方四島の択捉島(えとろふ)、国後島(くなしり)、色丹島(しこたん)、歯舞群島(はぼまい)を指し、日本はその返還を要求し続けてきた。しかし、ソ連側はずっと「北方領土問題は解決済み」との姿勢を崩さず、ソ連邦崩壊後のロシアになっても同じ主張を繰り返している。

 日本が北方四島の領有を主張するのは、1855年に結ばれた日露通商友好条約(下田条約)で択捉島とウルップ島の間に国境を定めたことに基づいている。しかし、日露両国が雑居していた樺太で紛争が頻発したため、1857年に樺太はロシア領、千島列島は日本領という取り決めがなされた(「樺太・千島交換条約」)。

その後、日露戦争に勝利(1905年)した日本が、ポーツマス条約によって樺太南部までを日本領土に編人した。それが、終戦の混乱期にソ連の占領によってなしくずしにされてしまったのには理由がある。サンフランシスコ講和条約において千島列島の範囲が不明確であったことから、北方四島を千島列島に含めないという日本の主張をロシア側が受け付けないのである。

 1956年に発効された「日ソ共同宣言」において、ソ連は歯舞群島、色丹島を日本に引き渡すことに同意したものの、1960年の日米安保条約締結をきっかけに、日本国内から外国軍(米軍)を撤退させることをソ連は二島引き渡しの条件として通告してきたのである。それ以来、二島の返還は引き延ばしにされたままだ。

2001年3月、森前首相とプーチン大統領との問で取り交わされた「イルクーツク声明」では、「日ソ共同宣言」の有効性が確認されたものの、新たな交渉時期の期限が設定されていないなど、今後の展望は見えていない。ちなみに米国は、北方四島は日本の固有の領土であるという立場を支持している。

 北方領土は古くから世界三人漁場の一つに数えられ、昆布、サケ、タラ、タラバガニなど豊富な海産物が水揚げされる。200海里問題も絡み、日本としては早急な解決が望まれる。



北方領土問題とは
http://www.hoppou.go.jp/gakusyu/about/index.html

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2006年01月29日

秘密文書 中国の「対日政治工作」全文公開

月刊誌「WILL 3月号」に“秘密文書 中国の「対日政治工作」全文一挙公開”が特集されていた。この文書の存在は過去何回か記事にされたことがある。
今あらためてこの文書を分析するとまさに現在進行形であることが理解できる。

下記のテキストスタイルをwordに編集
中国の「対日政治工作」全文.doc
秘密文書
中国の「対日政治工作」
全文一挙公開!

 この文書は一部ではかねてより知られていた。驚くべき内容である。
中国の対日工作計画がこと細かに、かつ具体的に書かれ、随所に思い当たる点も多い。
 ただし、出所が不明なため「怪文書」扱いされたこともある。
 編集部で取材を続け、そもそもは西内雅なる人物(故人)が日本に持ち込んだということがわかった。
 西内雅氏は明治36年生まれ。
数学の天才と言われ、陸車士官学校を出て内閣総力戦研究所員。東條英機元首相らとも交遊があった。戦後は皇學館大学、京都産業大学、中央学院大学などで教鞭をとった。
 中国、台湾問題などが専門で『中国の正体』『日本の防衛』『ハ千万の運命』などの編著書もある。
 昭和40年代半ばから、香港で日本語学校を運営、文化大革命で中国から逃げてきた中国人に日本語を教えつつ、情報を収集していた時に、この「文書」を入手したといわれる。
 西内氏は「中国と日本の戦いは心の争奪戦」だと語っていたという。
「文書」そのものがこのままの形で存在したものか否かは不明のままだが、内容については信憑性があると判断し、上海領事自殺事件などで中国の諜報活動が問題になっている今、敢えて全文を公開する。
           WILL編集部

A 基本戦略・任務・手段
一 基本戦略
 我が党は日本解放の当面の基本戦略は、日本が現在保有している国力のすべてを、我が党の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある。

二 解放工作組の任務
 日本の平和解放は、左の三段階を経て達成する。
 イ 我が国との国交正常化(第一期工作の日標)
 ロ 民主連合政府の形成(第ニ期工作の日標)
 八 日本人民民主共和国の樹立・天皇を戦犯の首魁として処刑(第三期工作の日標)
 田中内閣の成立以降の日本解放第二期工作組の任務は、右の第ロ項、すなわち「民主連合政府の形成」の準備工作を完成することにある。

三 任務達成の手段
 本工作組の任務は、工作員が個別に対象者に接触して、所定の言動を、その対象者に行わしめることによって達成される。すなわち、工作者は最終行動者ではなく、隠れた使嗾者(しそうしゃ)、見えざる指揮者であらねばならない。
以下に示す要領は、すべて対象者になさしめる言動の原則を示すものである。
 本工作の成否は、終始、秘密を保持しうるかどうかにかかっている。
よって、工作員全員の日本人国身分の偽装、並びに工作上の秘密保持法については、別途に細則を以って指示する。

B 工作主点の行動要領

第一 群衆掌握の心理戦
 駐日人使開設と同時になされなければならないのは、全日本人に中国への好感、親近感を抱かせるという、群衆掌握の心理戦である。好感、親近感を抱かせる日的は、我が党、我が国への警戒心を無意識のうちに捨て去らせることにある。
 これは日本解放工作成功の絶好の温床となると共に、一部の日本人反動極右分子が発する「中共を警戒せよ! 日本支配の謀略をやっている」との呼びかけを一笑に付し、反動極右はますます孤立するという、二重の効果を生むものである。
 このために、以下の各項を速やかに、かつ継続的に実施する。

一 展覧会・演劇・スポーツ

 中国の書画、美術品、民芸品等の展覧会、舞劇団、民族舞踊団、民謡団、雑技団、京劇団の公演、各種スポーツ選手団の派遣を行う。
 第一歩は、日本人人衆が中国大陸に対し、今なお持っている「輝かしい伝統文化を持っている国」「日本文化の来源」「文を重んじ、平和を愛する民族の国」というイメージをかき立て、さらに高まらせることである。
 我が国の社会主義改造の誇るべき成果についての宣伝は、初期においては少ない方がよく、全然ふれなくてもかまわない。
 スポーツ選手団の派遣は、ピンポンのごとく、試合に勝ちうるものに限定してはならず、技術的に劣っている分野の選手団をも数多く派遣し、日本選手に学ぶという率直な態度を示して、好感を勝ち取るべきである。

二 教育面での奉仕
A 中国語学習センターの開設。全国都道府県の主要都市のすべてに中国語学習センターを開設し、教師を無報酬で派遣する。教師は、一名派遣の場合は女性教師、複数の場合は男、女半々とし、すべて二十歳代のエ作員を派遣する。受講者資格は、もとより無制限とし、学費は無料または極めて少額とする。
B 大学への中国人中国語教師派遣の申し入れ。中国語学習センターを開設し、日本人青年層に中国語学習熟が高まったところで、私立、公立の大学には個別に、国立大学については日本政府文部省へ中国人中国語教師の派遣を申し入れる。申し入れを婉曲に拒否した場合は、「我が国の純然たる好意、奉仕の精神に対する非礼」を責めれば、日本のマスコミも大衆も、学生も許さないであろう。
 しかし、第一回で全勝を求める必要はなく、全国大学の過半数が受け入れればそれでよい。あとは自然に受け入れ校は増加していくものである。
C 委員会解説。「中日文化交流協会」を拡充し、中日民間人の組織する「日中文化教育体育交流委員会」を開設して実施せしめ、我が大使館は、これを正式に支援する方式をとる。
なお、本校のすべての項目は、初期においては、純然たる奉仕に終始し、いささかも政治工作、思想工作、宣伝工作、組織工作を行ってはならない。

第二 マスコミ工作
 大衆の中から自然発生的に沸き上がってきた声を世論と呼んだのは、遠い昔のことである。次の時代には、新聞、雑誌が世論を作った。今日では、新聞、雑誌を含めいわゆる「マスコミ」は、世論造成の不可欠の道具にすぎない。マスコミを支配する集団の意思が世論を作り上げるのである。
 偉人なる毛主席は「およそ政権を転覆しようとするものは、必ずまず世論を作り上げ、まずイデオロギー面の活動を行う」と教えている。田中内閣成立までの日本解放(第一期)工作組は、事実でこの教えの正しさを証明した。
 日本の保守反動政府を幾重にも包囲して、我が国との国交正常化への道へと追い込んだのは日本のマスコミではない。日本のマスコミを支配下に置いた我が党の鉄の意志とたゆまざる不断の工作とが、これを生んだのである。
 日本の保守反動の元凶たちに、彼等自身を埋葬する墓穴を、彼等自らの手で掘らせたのは、第一期工作組員である。田中内閣成立以降の工作組の組員もまた、この輝かしい成果を継承して、さらにこれを拡大して日本解放の勝利を勝ち取らねばならない。

一 新聞・雑誌
A 接触線の拡大。新聞については、第一期工作組が設定した「三大紙」に重点を置く接触線を竪持強化すると共に、残余の中央紙及び地方紙と接触線を拡大する。
 雑誌、特に週刊誌については、過去の工作は極めて不十分であったことを反省し、十分な人員、経費を役入して掌握下に置かねばならない。
接触対象の選定は「十人の記者よりは、一人の編集責任者を獲得せよ」との原則を守り、編集を主対象とする。
B 「民主連合政府」について。「民主連合政府」樹立を大衆が許容する温床を作り上げること、このための世論造成、これが本工作を担当する者の任務である。
 「民主連合政府」反対の論調をあげさせてはならぬ。しかし、いかなる方式かを問わず、マスコミ自体に「民主連合政府」樹立の主張をなさしめてはならない。これは、敵の警戒心を呼び覚ます自殺行為に等しい。
「民主連合政府」に関連ある事項を全く報道せず、大衆はこの問題についで無知、無関心であることが最も望ましい状態である。
 本工作組の工作の進展につれて、日本の反動極右分子が何等の根拠もつかみ得ないまま焦慮に耐え得ず、「中共の支配する日本左派勢力は、日本赤化の第一歩として、連合政府樹立の陰謀を進めている」と絶叫するであろう。
 これは否定すべきであるか?。 もとより否定しなければならない。しかし、否定は真正面から大々的に行ってはならず、計画的な慎重な間接的な否定でなければならない。「極右の悪質なデマで、取り上げるにも値しない」という形の否定が望ましい。
C 強調せしむべき論調の方向
@ 大衆の親中感情を全機能を挙げてさらに高め、蒋介石一派との関係は完全に断つ方向へ向かわせる。
A 朝鮮民主主義人民共和国ならびにベトナム民主共和国との国交樹立を、社説はもとより全紙面で取り上げて、強力な世論の圧力を形成し政府にその実行を迫る。
B 政府の内外政策には常に攻撃を加えて反対し、在野諸党の反政府活動を一貫して支持する。特に在野党の反政府共闘には無条件で賛意を表明し、その成果を高く評価して鼓舞すべきである。大衆が異なる政党の共闘を怪しまず、これになじむことは、在野諸党の連合政府樹立を許容する最大の温床となることを銘記し、共闘賛美を強力になさしめるべきである。
C 人間の尊重、自由、民主、平和、独立の強調 ここに言う「人間の尊重」とは、個の尊重、全の否定を言う。「自由」とは、旧道徳からの解放、本能の開放を言う。「民主」とは、国家権力の排除を言う。「平和」とは、反戦、不戦、思想の定着促進を言う。「独立」とは、米帝との提携の排除、社帝ソ連への接近阻止をいう。

ニ テレビとラジオ
A これらは、資本主義国においては「娯楽」であって、政府の人民に対する意志伝達の媒介体ではない。この点に特に留意し、「娯楽」として利用することを主点とすべきである。具体的な方向を示せば、「性の解放」を高らかに謳い上げる劇又は映画、本能を刺激する音楽、歌謡等は望ましい反面、スポーツに名を借りた「根性もの」と称される劇、映画、動画、または歴史劇、映画、歌謡ならびに「ふるさとの歌祭り」等の郷土愛、民族一体感を呼びさますものは好ましくない。前者をより多く、後者をより少なく取り上げさせるよう誘導せねばならない。
B テレビのニュース速報、実況報道の利用価値は極めて高い。画面は真実を伝えるものではなく、作るものである。目的意識を持って画面を構成せねばならない。
C 時事解説・教養番組等については、新聞について述べた諸点がそのまま適用されるが、これは極めて徐々に、少しずつ注意深くなされねばならない。

三 出版(単行本)
A 我が国への好感、親近感を抱かせるものを、第一に取り上げさせる。
風物写真集、随筆、家庭の主婦が興味を抱く料理、育見所の紹介など、受け入れられやすいものを多面にわたって出版せしめる。
B 社会主義、毛沢東思想などに関する理論的著作も好ましい。しかし、我が国の社会主義建設の成果、現況については、極右分子の誹謗を困難ならしめるよう配慮させねばならない。
C マスコミの主流から締め出された反動極右の反中国の言動、単行本に出路を求めているが、これは手段を尽くして粉砕せねばならない。
特に、社会主義建設の途上で生じる、やむを得ない若干のゆがみ、欠点について、真実を伝えると称してなされる暴露報道を絶対に放置してはならない。これらについては、誹謗、デマで両国関係を破壊するものであるとして、日本政府に厳重に抗議すると共に、出版社主、編集責任者、業者を告訴して根絶を期すべきである。
D 一般娯楽面の出版については「デンマークの進歩を見習え」として、出版会における「性の解放」を大々的に主張せしむべきで、春画、春本の氾濫は望ましい。
E 単行本の出版についての今一つの利用法は「中間層文筆業者」の獲得である。「中間層」とは思想的に純正左派、または右派に属しない、中間の動揺分子を言い、「文筆業者」とは、およそ文筆を以て世論作りにいささかでも影響を与え得る者すべてを言う。彼等に対しては或いは原稿料を与え、或いは出版の支援をなして接近し、まず「政治的・思想的立場の明快さを欠く」中間的著作をなさしめ、徐々に我が陣営へと誘導する。

四 本工作にマスコミ部を設けて諸工作を統轄する

第三 政党工作
一 連合政府は手段
 日本の内閣総理は、衆参両院の本会議で首班指名選挙を行って選出される。両院で議員総数の過半を掌握すれば、人民の意志とは関係なく任意の者を総理となし得るのである。
 一九七二年七月の現況で言えば、自民党の両院議員中、衆議院では約六十名、参議院では十余名を獲得して、在野党と同一行動を取らせるならば、野党連合政府は容易に実現する。しかし、この方式を取るならば、社会党、公明党の発言権を益するにとどまり、かつ擬人の単独多数党は依然として自民党であり、この二点は純正左派による「日本人民共和国」成立へと進む阻因となることは明らかである。
 自民党のみではなく、社会党、公明党、民主社会党もまた、無産階級の政党ではなく、最終的には打倒されるべき階級の敵の政党であることを忘れてはならない。
 本工作組に与える「民主連合政府の樹立」という任務は、日本解放の第二期における工作日標にすぎず、その実現は第三期の「日本人民民主共和国」樹立のための手段に過ぎない。
 共和国樹立へ直結した、一貫的計画のもとに行われる連合政府工作でなければ、行う意義はまったくない。

二 議員を個別に掌握
 下記により国会議員を個別に掌握して、秘密裏に本工作員の支配下に置く。
A 第一期工作組がすでに獲得したものを除き、残余の議員全員に対し接触線を最少四線設定する。
B 右のほか、各党の役職者及び党内派閥の首長、有力者については、その秘書、家族、強い影響力を持つ者の三者に、個別に接触線を最少二線設定する。
C 右の接触線設定後、各線を経て知り得る全情報を整理して、「議員身上調査書」の拡充を期し、公私生活の全貌を細大もらさず了解する。
D 右により各党ごとの議員を「掌握すべき者」と「打倒排除すべき者」に区別し、「掌握すべき者」については「連合政府の樹立にのみ利用しうる者」「連合政府樹立より共和国成立に至る過渡期においても利用し得る者」とに区別する。
 ここに言う「打倒・排除」とは、その議員の党内における勢力をそぎ、発言権を低下せしめ、孤立に向かわせることを言う。
E 「掌握」又は「打倒」は調査によって明らかとなったその議員の弱点を利用する。
 金銭、権力、名声等、欲するものを与え、又は約束し、必要があれば
中傷、離間、脅迫、秘している私事の暴露等、いかなる手段を使用してもよい。
 敵国の無血占領が、この一事にかかっていることを思い、いかなる困難、醜悪なる手段も厭うてはならず、神聖なる任務の遂行として、やり抜かねばならない。

三 招待旅行
 右の接触線設置工作と並行して、議員及び秘書を対象とする、我が国への招待旅行を左の如く行う。
A 各党別の旅行団。団体の人数は固定せず、実情に応じて定める。但し、団体構成の基準を、「党内派閥」「序列」「年齢」「地域別」「その他」そのいずれかにおくかは慎重に検討を加え、エ作員の主導のもとに、我が方に有利になる方法をとらしむるよう、工作せねばならない。
B 党派を超えた議員旅行団。議員の戦果、当選回数、選挙区、選挙基盤団体、出身校を子細に考慮し、多種多様の旅行団を組織せしめる。
C 駐日大使館開設後一年以内に、全議員を最低一回、我が国へ旅行せしめねばならない。自民党議員中の反動極右分子で招待旅行への参加を拒む者に対しては、費用自弁の個人旅行、議員旅行団以外の各種団体旅行への参加等、形式の如何を問わず、我が国ヘー度旅行せしめるよう工作せねばならない。
D 旅行で人国した議員、秘書の内、必要なる者に対して、国内で「C・H・工作」を秘密裏に行う。

四 対自民党工作
A 基本方針
 自民党を解体し、多数の小党に分裂せしめる。
 自民党より、衆議院では六十名前後、参議院では十余名を脱党せしめて、連合政府を樹立するというが如き、小策をとってはならないことは先に述べた所であるが、右派、左派の二党に分裂せしめることも好ましくない。これは、一握りの反動右翼分子が民族派戦線結成の拠点として、右派自民党を利用する可能性が強いからである。
 従って、多数の小党に分裂する如くエ作を進めねばならず、また表面的には思想、政策の不一致を日実としつつも、実質的には権力欲、利害による分裂であることが望ましく、少なくとも大衆の目にはそう見られるよう工作すべきである。
B 手段
@ 自民党内派閥の対立を激化せしめる。
 自民党総裁選挙時における派閥の権力闘争は常に見られる現象で、通常は総選挙を経て若干緩和され、一つの党として受けて曲りなりにも保持していく。今回はそれを許してはならない。田中派と福田派の対立の継続と激化、田中派と大平派、三木派、三派の離間、中間五派の不満感の扇動等を主点として、第一期工作組は工作を展開中である。総選挙後、若干の変動があっても、派閥の対立を激化せしむるという工作の原則は変わらない。
A 派閥対立を激化せしめる最も有効な方法は、党内の非主流派となって政治活動資金の調達に困難を生じている各派に個別に十分な政治資金を与えることである。政治献金は合法であり、これを拒む政治家はいない。
問題は方法のみであり、工作員からAへ、AからBへ、BからCへ、CからDに、Dから議員又は団体という如く間接的に行うのは言うまでもない。
B 先に述べた議員個人の掌握は、それ自体が連合政府樹立の有効な手段となるが、派閥対立激化についても活用するのはもとよりである。

五 対社会・公明・民社各党工作
A 基本方針
@ 各党内の派閥闘争を激化せしめ、工作による操縦を容易ならしめる。
派閥というに足りる派閥なき場合は、派閥を形成せしめる工作を行う。但し、党を分裂せしめる必要はなく、分裂工作は行わない。
A 日本共産党を含めた野党共闘を促進する。
B 手段 
自民党の項に同じ。

六 「政党工作組」で統轄
 対政党工作は「連合政府樹立工作」の中心をなすものであり、本工作組に政党工作部を設け、その下部機構を、自民党班、社会党班、公明党班、民社党班の四班に分かち、各班ごとに派閥名を冠した派閥小組を設ける。

第四 極右極左団体工作
一 対極右団体
 我が党は日本解放、日本人民共和国樹立工作を進めるに当たって、日本の極右団体に対する対策は必要であるか? 必要だとすれば、いかなる対策を立てて工作を進めるべきか?
 第一に認識しなければならない彼我の関係は、彼等は利用し得べき中間層に属するものではなく、水火相容れざる敵であることである。では、彼等の現有勢力はどうか?
 東京における極右団体数は約百八十余。シンパも含めて人数は約四十万、全国には一人一党的なものも含めれば約八百団体、総数百万未満で問題にするには足りない。
 世論の動向はどうか?
 我が方は、いち早く「マスコミ」を掌握して、我に有利なる世論作りに成功した。
 敗戦日本を米帝が独占占領したことは悪質極まる罪悪であるが、米帝が日本の教育理念、制度を徹底的に破壊し、国家・民族を口にすることが、あの悲惨な敗戦をもたらした軍国主義に直結するものであると教育せしめたことは、高く評価されねばならない。
 極右は、かつて輝かしい成果を収めたように、「国家」「民族」というスローガンで民衆に近づく道を封じられているのである。否、彼らがそれを強調すればするほど、民衆は彼等から離れていくのである。
 八百に分裂し、マスコミを敵とし、直接に民衆へ呼びかけても、効果が上がらぬ彼等は、翼なきタカであるか?
 工作の対象として取り上げるに値しないものであるか?
 ここで我々は、日本解放工作の最も困難なる点、即ち、我が方の弱点の所在を十分に承知しておかなければならない。
@ 国会議員の過半数を工作組の掌握下に置き、国会での首班指名選挙で、我が方の望む人物を選出させ、連合政府を成立させることは合法行為で可能である。
A 右は日本人大衆の意志とは、関連なく行い得る。
B マスコミは右の工作が順調に進むよう、背後に隠れ全面的に支援する。
 右の三点から連合政府樹立については、極右勢力がその阻害の素因となる恐れはほとんどない。もし彼等が連合政府樹立前に武装反革命戦をひき起こせば、世論の総攻撃を受け、日本官憲によって弾圧粉砕されることは問違いない。
 問題は、連合政府樹立直後の民心の大変化にある。大衆は「連合政府―共和国成立」という革命図式がデマでなく真実だと直感するであろう。
彼等をだまし続けてきたマスコミヘの怒り、彼等の意志を完全に無視して首班指名選挙を行った議員への怒り、生活様式が一変するという恐怖感、これらが組織されて爆発したらどうなるのか?
 この時点で、統一された組織をあやつる極右勢力が存在すれば、これほど大きな危険はない。彼等の微小な力「一」は、たちまちにして「百」「千」となろう。大衆は、彼等の武装決起に背を向けないどころか、それを望み、それに投じるであろう。もとより、最後の勝利は我が方に帰するが、一時的にせよ、内戦は避けられず、それは我々の利益とはならない。
 以上の分析に従えば、対策は自ずから決まってくる。
A 極右のマスコミ奪回の反激戦に対しては、常に先手をとって粉砕せねばならない。
B 極右団体の大同団結、乃至は連携工作を絶対に実現せしめてはならない。あらゆる離間、中傷工作を行って、彼等の感情的対立、利害の衝突を激化させねばならぬ。
C 各団体ごとに、早期に爆発せしめる。彼等の危機感をあおり、怒りに油を注ぎ、行動者こそ英雄であるとたきつけ、日本の政界、マスコミ界、言論大等の進歩分子を対象とする暗殺、襲撃はもとより、我が大使館以下の公的機関の爆破等を決行するよう、接触線を通じて誘導する。我が公的機関の爆破は建物のみの損害にとどめ得るよう、準備しておけば実害はない。事後、日本政府に対して厳重抗議し、官憲をして、犯人の逮捕はもとより、背後団体の解散をなさしめ、賠償を要求し、マスコミには、全力挙げて攻撃させ、人民の右派嫌悪をさらに高め、定着させる。
D 右のため、必要な経費と少量の米製武器弾薬を与える。これは蒋介石一派が日本の極右に資金・武器を与えたのである、と日本官憲に信じ込ませる如く工作して、二重の効果を生むよう配慮せねばならない。
E 本工作は工作組長自ら指揮する直属機関「P・T・機関」をして実施せしめる。

二 対極左団体工作
A 学生極左団体は、一定任務を与え得ない団体(又は個大)と、一定任務を与え得る者と区別して利用する。
B 前者には、資金・武器を与えて小規模な武装暴動を頻発しめ、全国的な社会不安を高めると共に、日本官憲をして奔命に疲れせしめる。犯大及び直接関係者は、駐日大使館において保護し、必要ある場合は我が国の船舶で中国に逃亡せしめる。
C 後者には、各階層の極右分子中、我が工作の著しい阻害となる者に対しての暗殺・脅迫・一時的監禁等を使用する。その保護については前項に同じ。
D 前一一項に関連して起きる、日本官憲による我が大使館への「犯人引き渡し要求」又は「捜査への協力要請」は、その事実なし、必要なしとして断固拒否する。続いて、マスコミの全力を挙げて官憲の不当を攻撃せしめ、日本政府へは、国交断絶も辞せずと圧力を加え、官憲の要求を制約せしめる。
E 逮捕された犯人に対する援助は一切行ってはならない。又、その犯人との接触に使用した中間連絡者に対しては、ただちに「P・T・機関」をして必要、適切なる処置を構ぜしめ、官憲の追跡捜査を許してはならない。
F 本工作は、対極右工作とともに「P・T・機関」をして実施せしめる。

第五 在日華僑工作
一 華僑の階級区分 
約五万三千名に上る在日中国人は、現在の思想、言動を問わず、本質的には資産階級、小資産階級に属する階級の敵であって、無産階級も同志ではない。しかし日本大民共和国成立以前においては、彼等を「階級の敵」と規定してはならず、統一戦線工作における「利用すべき敵」に属するものとして規定し、利用し尽くさなければならない。

二 工作の第一歩・逃亡防止
 国交正常化が近づくにつれて、彼等は必然的に動揺し不安を感じる。
不安の第一は、我が駐日大使館開設後、祖国へ帰国させられるのではないか? その際、在日資産を処分して得た携帯又は送金外貨を帰国後、中国銀行に預金させられ封鎖されるのではないか、との不安である。
 第二は、蒋介石一派の言動をとっていた者、及び「台湾独立運動」に従事していた者の罪を恐れる恐怖不安である。
 これに対し「居住の許可、私有財産の保護は日本政府の保証する所であり、中共大使館の干渉し得ざる内政干渉があること」「民主国日本においては、思想・言動の自由が保護されており、それが外国人に及ぶことは、国府大使館時代の実例で証明されていること」等を挙げて、第一期、第二期工作員とともに、彼等の不安解消に全力を挙げ、彼等に日本残留を決定せしめなければならない。
 対在日華僑対策の第一歩は、彼等を掌握して利用するために日本へとどめることであり、決して台湾又は東南亜各地へ逃亡させてはならない。

三 工作の第二歩・青少年把握
 工作の第二歩は、華僑の小・中・高校・大学等の生徒学生及び青年を、先ず掌握することである。
A 駐日大使館開設と同時に、大使自ら各地の華僑学校へ赴き、祖国からの贈物として、施設拡充に十分なる寄付金を無条件で与え使用させる。同時に、政治色のない図書館を大量に寄付する。
B 祖国から来日するスポーツ選手団の試合、各種の公演、展覧会に、青少年を無料で招待する。
C 華僑学校へ女性の中国教師一名を派遣する。この一切の費用は大使館で負担する。教師は初期においては一切、思想・政治教育を行わず、忠実熱心な教員として全生徒の信望を勝ちとることに全力を尽くす。続いて、語学教育を通じて、全生徒に祖国愛をいだかせること、及び生徒を通じて自然にその家族の状況を知ることの二点を任務に加える。教員数も、教員に与える任務も漸増するが、その時期を誤ってはならない。
D 祖国観光旅行。派遣教員による生徒の掌握が進んだ時点で、祖国観光旅行へ招待する。この後、次第に、政治・思想教育を行って青少年を完全に掌握する。

四 国籍の取得
A 駐日大使館開設後直ちに、在日華僑の中国国籍の取得、パスポート発給申請の受理を開始するが、決して強制してはならず、且つ受理期間を制限してはならない。あくまでも、彼等が個人の意志で決定し、自発的に申請するという形式を取らせねばならぬ。時間がかかることは問題とするに足らない。
 掌握せる青少年に「中国人が中国の国籍をとるのは当然のことである」との考えが徹底すれば、彼等は自然に両親を説得する。これ青少年の自発行為であり、子供と共に行動する親の行為もまた自発的行為であることは言うまでもない。
B 日本政府に対しては「在日中国人の国籍問題について」の秘密交渉を申し入れ、左記を要求する。
@ 在日中国人の日本への帰化を認めてはならないこと。
A 在日中国人で中国国籍を取得せず、無国籍者を自称する者に対しては、各地の在日居留機関が満期となる際、居留期間の延長許可を与えてはならないこと。
B 蒋介石一派が発給するパスポートを認めない。その所侍者に、日本居住を許可してはならないし、旅行入国をも認めてはならない。中国人について、二種類のパスポートを認めることは、二つの中国を作る陰謀に該当する最も悪質な反中行為であることを認めること。

五 中国銀行の使用を指定
A 在日華僑の大部分は商人であり、その年商総額は約一兆円に達している。駐日大使館開設と同時に、日本に進出して各地に支店を設ける中国銀行は、中国との貿易に従事するすべての日本商社に口座を開設せしめるほか、華僑については、その大部分の資産を中国銀行へ預金せしめる如く工作せねばならない。
B 資産階級は狡猾無比で、資産を分散隠匿して保全を図る習性を持つ動物である。正面からの説得で、取引銀行を中国銀行一本に絞ることはあり得ない。
 青少年の掌握、国籍取得がゆきわたり、日本政府が我が方の国籍問題についての要求を入れ、もはや我が大使館の意志に抗し移行することは困難となった段階で、左の諸点を実施する。
@ 「祖国の銀行を使おう」「事実で素朴への忠実を示そう」等のスローガンのもとに「中国銀行への預金運動」を華僑自体に展開させる。青少年に運動の先鋒隊として宣伝、説得工作をなさしめると共に、父母の言動を監視せしめ、実行しない場合は摘発せしめる。
A 預金を中央銀行一本に絞らなければ、パスポートの有効期限の延長申請を大使館は受理しないであろう、と意識的なデマを口から口へ伝えて、「延長申請が許可とならねば無国籍となって日本に居住できない」との不安をあおる。
B 華僑仲間の密告を「祖国への忠誠行為」として奨励することを暗示する。

六 政治・思想教育
 国籍を取得し、預金を中国銀行に集中せしめた後において、五万三千の華僑を、日本解放のためのー戦力となすべく、政治教育、思想教育を開始する。
七 「華僑工作部」で統轄
 本工作に「華僑工作部」を設け、全工作を統轄せしめる。

C 統轄事項

一 派遣員数・身分・組長の出身
 本工作員の組員は、組長以下約二千名を以って組織する。大使館開設と同時に八百名、乃至一千名を派遣し、以後、漸増する。
 組長以下全員の公的身分は「大使館員」「新華社社員」「各紙特派員」「中国銀行員」「各種国営企業代表又は派遣員」「教員」の身分で赴任する。
組員は、その公的身分の如何にかかわらず、すべて本工作組長のみの指揮を受け、工作組の工作に専従する。
組員は、一部の責任者、及び特殊工作を行う者のほか、全員「第四八党校」日本部の出身者中より選抜する。

二 経費
 本工作での必要経費は、すべて中国銀行東京支店より支出される。中国銀行は、日本国内で華僑及び日本商社より吸収する資金中、銀行業務の維持に必要なる額を除き、残余は全額、本工作のために支出する。 華僑預金は、日本人民民主共和国成立後は、全額没収するものであるから、将来において預念者に返還することを考慮に人れておく必要はない。
 本工作組長は、常に中国銀行東京支店、党支部書記と密接に連結し、資金運用の円滑を図らねばならない。

三 指令・関係文献の取扱い
A 本指令、及びエ作組織系統表、工作員名簿等の下達は、組長、副組長のみに限定する。
B 関係文献はすべて組長自ら保管する。
C 関係文献の複印、筆写は厳禁する。
D 工作組の各部責任者に対しては、訓練期間中に、組長より個別にその所管事項について、指令内容を伝え記憶せしめる。
E 組員に対しては、その所属する各部責任者が、その組員に担当せしめんとする事項についてのみ教育訓練する。
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2005年12月10日

私は北ベトナムのゲリラ隊を養成した

◎私は北のゲリラ隊を養成した
ベトナム友好協会常任理事・慶応大学教授(昭和48年当時) 加茂徳治

 私は昭和十七年二月、最初の学徒兵として第二師団(仙台)に入隊、その年の秋、予備士官学校を卒業して、ラバウル(ガダルカナルの北)をふり出しに、フィリピン、マラヤ、ビルマを転戦してインドシナのフランス軍と闘い終戦をサイゴンから西北のロクニン(南ベトナム)で迎えました。終戦後、部隊は警備のためファンライエットまで行きました。ファンライエットという所はサイゴンの北東二〇〇キロの位置にあります。その時、すでに、北の方では八月革命がおこっていました。

 当時、ファンライエットには、ベトミン軍がおり、日本軍を入れないという。ベトミン軍の協力がなければ買物に行くにしても市場へ行くにしても行けない。それをベトミン軍と接渉してやっと海岸の元フランス人の別荘地区に入れてもらいました。うちの部隊は百名前後いたでしょうか、そこへ押しこめられた形になったんです。

 あらゆる生活がベトミン軍の協力がなければ成立しない。ということで、初めて、ここでベトミン軍との接触が生れました。うちの部隊には、ベトナム人の通訳がいまして、これがベトミン軍の協力者だったんです。
そんなこともあって、ベトミンとは比較的うまくいきました。食料も売ってくれて部隊の生活はうまくいきました。条件はベトミンからの要請で、帯剣も銃もダメ、丸腰で出てくれというんです。そうしな
いとベトミン軍とぶつかる、衝突が起こるというんです。

 それで丸腰という条件をのんでうまくやろうという姿勢をみせました。ところが、ある日、日本軍と衝突事件がおこったんです。それで私が、ベトミンと交渉に出かけたんですがそのまま帰してもらえなかったんで。交渉に行ったのは、将校だったという責任上からもありましたが、また、うちの中隊を扱った通訳と気心がしれていたということもあります。

やむをえず、私はそのまま残らざるを得なかった。で残ってなにもしないでいるとカムラン湾にあるニヤチヤン、(通称ニャトランといわれており、かつてアメリカの特殊部隊がいた所)のべトミンを指導してくれという話になったんです。当時、私は中尉でした。

○フランス軍への強い敵愾心
 二ヵ月ほどして、ファンライエットに帰りました。、その時、ファンラィエットではフランス軍が入っていましたのでベトミンからの要請で三十名ほどのゲリラ部隊を組織したんです。
 武器といっても、小銃が三丁、軽機関銃が一丁(これはベトミンがもっていた)、それに手榴弾が一コあったかどうかという程度で、あとはみんな素手です。

その時に、サイゴンから逃れてた日本兵が、五、六名いました。その日本兵に、日本製の軽機関銃をわたしました。ゲリラ組織といっても訓練も何もない。ベトナム人たちは、軽機関銃の使い方もしらないというような状態です。
     
 ベトミンの生活は、村人の支援がないと出来ない。ゲリラ部隊を組織してから、ある時、村長さんが飛んできて、フランス軍がくるという。それじゃ、いっちょうやろうかということになったんです。そこで、私は山の中に隠れました。山といっても丘陵地帯です。南ベトナムは平野地帯が多い。

 田んぼの方を二つに分け、我々は、山の方とヤブの方へ入ったんです。そうすると、フランス軍はゆうゆうと入ってくる。民家に入って略奪を開始した後、いい具合にフランス軍は、我々が隠れているヤブの下の大きな木の下で昼飯を食いはじめたんです。

 それを我々は見つけ、軽機関銃を主体にして攻撃することにしました。作戦はまず軽機で撃つ。そうすると、フランス軍は山の方へ逃げようとする。その時、小銃をもっている者は撃て、あとの連中は、ワーと大きい声をだせ。そうすると絶対、山に入ってこないだろう、というものです。

 軽機関銃というのは一瞬の勝負です。実際一瞬のうちに勝負は決まり、八名ほどフランス兵は倒れました。逃げたものはどうしょうもない。
 この戦闘の結果をみて、村の人たちは、大喜びです。フランス軍がやられたのを初めて見たというんです。村の人たちは、もう家を焼かれても惜しくないというんです。それだけフランス軍に対する敵愾心が強いんです。フランス人が殺されるのを見たのは初めてだというんですからね。

 その時、銃を二、三丁とりました。ゲリラの原則として、敵の銃をとるということなんです。
 その時、一個大隊、五、六百名のフランス軍がきて、迫撃砲射をしました。それで、その周辺におられなくなったんです。フランス軍はベトミン軍にいる我々日本人を指名手配しました。

 そのため、私たちは船で三日三晩かかって、北ベトナムの方へ逃れました。昼は、船底にかくれ、夜は船上に出て、空気を吸うという状態です。そうして着いたのがクアンガイという中部ベトナムです。そのクアンガイでは、ベトナムでは、はじめての士官学校を作っていたんです。陸軍中学と称していましたが、その教官にならないかということになったんです。

 最初に、私がゲリラ組織を提案したのは、ベトナムを解放しようというほどのものではありません。自分たちの村を守るには、どうすればいいかということからはじまったんです。
 しかし、兵器はない。訓練は出来ていない。というんで、小さいながらも組織を作ろうということになったんです。最初のゲリラ組織でフランス軍を打ち破ったファンライエットの闘いで、あとで聞くと、賞状をもらうはずだったのです。

この最初のゲリラ組織を作るという私の提案にベトミンが乗ったということから話ははじまったんです。
 クアンガイの陸軍士官学校では、教官四人が日本人でした。それぞれ日本人の下士官が助手としてつきました。はじめは、このクアンガイの学校だけが、ベトナムの士官学校かと思っていたところ、もう二つ、ハノイ
周辺にあったんです。

 その一つは、バクソンという学校で日本人の教官が三人です。あと一つは、ソンタイというところにある学校でハノイから四〇キロの所にあります。これは、昔、フランス軍が作ったんです。ここには、日本人の教官はおらず、ベトナム人の教官だけでした。だから、いま(昭和48年当時)の北べトナムには、日本人からならったグループとベトナム人からならったグループの二つの系統があるんです。日本人からならった中では、いま、副師団長のような高級幹部がいます。

 このクアンガイから第一期生がはじまり、一九四六年の暮、全国抗戦にむけて卒業しました。士官学校での訓練計画では軍事教育の一切の権限をまかされました。若気のいたりというわけか、その教育は、日本式でやりました。当時の学生たちは、非常に優秀なのが集まってきました。ちょうど日本でいえば大学卒業者にあたります。革命当時のベトナムでは、九五%が文盲の時代というわけですから、彼らはエリート中のエリートになります。

将来のベトナム軍隊の中核を作ろうということでした。期間は六か月で卒業です。卒業後は、全員汽車でハノイに向け出発しました。当時のハノイは、フランス軍が来ていて、一触即発の状態、危険な状態です。それで、ハノイに入れず、ソンタイに入り、そこから各地に向かったんです。次の第二期生の段階から士官学校も一本化しました。それは武備学校(ベトナム語でボービ)と呼ばれました。そこには、日本人とベトナム人の教官がいました。

 一九四六年暮から、抵抗という段階に入りました。ゲリラの抵抗というのは、抵抗している間に力をたくわえようということです。幹部が全国に散った段階が第一の闘いとすると、次の抵抗の時期というのは、兵力保存の闘いなんです。
 当時のベトミンは兵器もそろっていない。素手で闘っている状態なんですから、基本方針として、敵の兵器を奪ってわがものにするという考えです。

 ゲリラ戦、遊撃戦というのは、敵の兵器をうばって自分たちの装備にする。そして、闘いながら大きくなり、更に闘うということです。この思想、方針がいまでもあります。
 小銃といっても、日本製、中国製、イギリス製、フランス製ありという状態です。当然、弾丸も違う。兵器が完備していないから、正規軍には発展しない。
小グループによる闘いということになる。これがゲリラ戦、遊撃戦になるんです。だから、最初の闘いは、五人、十人対十人、二十人という闘い。それから、人数がふえていって、百人対一個中隊という闘いになっていくんです。その中で戦闘経験を積む。南ベトナムの解放戦線というのも、そういうものです。

 その解放戦線のゲリラ戦術に待ちぶせ攻撃というのがあります。敵が何時に通過するか統計をとるんです。パトロールというのは、決まった時間にくるはずです。通るコースはどうで、大体どこで何時間かかるか、の統計をとって、待ちぶせして攻撃するわけです。

 攻撃方法はいろいろあります。頭と尻をたたく、そして真ン中を攻撃する。混乱したところで真ン中をうつ。これはいまでもアメリカ軍に対してやっています。これは、相当、綿密な調査が必要です。ザップも、霧が深くて失敗したこともあると書いています。この戦術は、グエン・ホエが清の部隊を破った時にもあります。

 人民戦争というのは、衆知を集める。その面白い例が、アメリカ軍のセパード犬の鼻をひんまげる方法です。解放戦線側が穴にもぐる。しかし、セパード犬にかぎつけられてしまうんです。ところが、ニンニクならいいということがわかった。嗅覚がしびれるんです。逃げるときに、ニンニクを置くと、そこまでセパードは来るがそれ以上はダメなんです。

 コウモリを使うということもあります。コウモリがアメリ力の拠点にある巣に帰るのを見る。習性をよく調べる。そしてコウモリに火縄をつけるんです。そして飛ばす。南の田舎は、わら屋根が多いから、巣に帰ると自然に火事になる。その火事になったときに攻めるんです。
 これでは、アメリカ軍の近代装備もどうしようもありません。

 フランスとの抵抗戦術の時に使ったのは、道路に穴をあける、落とし穴があります。フランスとの闘いには、竹を鋭くして落とし穴に入れるんです。南では、五寸釘をつけるんです。それが、鉄板のようなシューズを作るきっかけになったんです。この鉄板シューズを、日本が作ったということもありました。この落とし穴の戦術は、フランス軍との闘いから作ったんです。

 また、敵のバラシュート部隊が地上におりられないように、杭を鋭くしたようなものを原っぱにさしたこともあります。
蜂の巣使った素朴な戦術も 南の中部高原には、鋭い弓をもっている狩猟民族がいます。
彼らが放つ矢というのは、10センチほどの厚板をぶち抜くような力があるんです。
 フランス人もそうでしたが、この矢が大嫌いなんです。音もなく来る。非常に不気味だということですね。夕方、うすぐらい時に、至近距離でやる。そうすると、フランス兵は算をみだして逃げるんです。相手に対する心理的影響が大きいんです。

 竹釘のついたふりこ戦術というものもあります。石にワラを巻くんです。竹の釘をいっぱいさす。それを木にぶらさげるんです。ひもでぐっと引く。それを通り道においておくんです。
木の上からアメリカ兵を見ている。アメリカ兵が縄の距離内まできたら縄を切るんです。現実には一人しか死なないかもしれない。しかし、アメリカ兵はものすごくこわがるんです。近代兵器をもっているのに、古い武器にはこわがるんです。

 例えば太鼓です。太鼓をどんどん使うんです。それを聴くとゾッとするとアメリカの捕虜がいったんですから確かです。インディアンの太鼓がこわいんですね。日本の基地にいるアメリカ兵も、日蓮宗の妙法寺の太鼓がこわいといいます。想像もつかないがそうなんです。最初は何げなくやったのが効果があったんでしょう。よく相手を研究し、心理作戦が非常にうまい。

 また蜂の巣を使った素朴な戦術もあります。アメリカ兵のパトロールの道に大きい蜂の巣をぶら下げるんです。アメリカ兵がちょうどその蜂の巣にぶつかる時に、矢で蜂の巣を破る。蜂が出る、アメリカ兵が逃げる。
どこまでも蜂というものは追っかけますからね。これなどは、一般大衆のチエです。 かつて、ソ連の軍事視察団が北ベトナムを訪ずれたときファントムを小銃で落としたという話を信用しなかったことがあります。ミサイルでも難しいのに小銃ではなおのこと難しい。

 ファントムが急降下する。それをじっと待っているわけです。小銃の弾でもあたれば大きいです。正面から射つわけですが、出来るだけ近づいて射てばいい。ベトナム人に聞いたら、やはりこわいというんです。しかし「私もこわいが相手のパイロットもこわいだろう。目をそらしたら負け、自分が打ち殺されるか相手を落とすかどちらかだ」というんです。この場合、低いほど効果があるんです。300メートル、400メートルじゃダメ。その接点が難しいんです。これはコンピューターでは分析できません。問題は思想闘争なんです。
科学では分析できない。科学プラス・アルファなんです。

 ベトナム人の自由と独立への深い決意、そのための英知はいろんな形であらわれました。
 基本的なのは、ホー・チ・ミンのいう自由と独立です。勝つためには、どうするか、子孫が生きるためにはどうするか、そのへんの読みが浅いとまちがえてしまう。鉄砲さえあればいいというんじゃないんです。
そして、戦術も百年というんじゃなく、ずっと昔から伝わっているものが多いということです。        
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2005年09月19日

日露戦争の主な戦闘

日露戦争の主な戦闘.jpg
満遜をロシアの権益化に 朝鮮を日本に 
いわゆる満韓交換論を狙った日ロ交渉は暗礁に乗り上げ、「朝鮮は日本の防衛線」とする日本は武力を行使しても朝鮮を支配下に置くことにした。
明治37年2月4日御前会議で開戦を決意した。

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日清戦争の作戦図

日清戦争作戦図.jpg明治27年(1894)朝鮮の東学党(倭洋追放を叫ぶ宗教団体)蜂起に端を発した日清戦争は老大国清を相手にした近代日本初の対外戦争である
posted by ディポ at 11:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 軍事・外交 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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